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公開日:2025.08.09
箱根町芦之湯
独兵が残した阿字ヶ池
戦時下の交流、足跡今も
国道1号沿い、箱根町芦之湯の温泉旅館・松坂屋本店の東隣にある「阿字ヶ池」は、第二次世界大戦中にドイツ海軍将兵によって掘られた防火用水池だ。戦後80年を迎える中、芦之湯に残るドイツ兵の足跡を追った。
松坂屋本店にドイツ兵が来たのは、1943年4月。42年11月に横浜港で起きたドイツ海軍仮装巡洋艦の爆発事件により、帰国困難になったドイツ兵約100人の宿舎に指定されたのがきっかけだった。以降ドイツ兵は、47年にGHQにより送還されるまで約4年間、芦之湯に滞在した。
戦時中の箱根について町の学芸員は、「都心部の児童や在日外国人の疎開先だった」と話す。戦局の悪化で営業困難な旅館は、疎開の受け入れで収入を得ていたという。
旅館にはドイツ兵の写真やスケッチなどが今も残されており、「阿字ヶ池」もドイツ兵とのゆかりを今に伝える遺物だ。
阿字ヶ池は左右対称の楕円形に掘られている。設計から採掘までをドイツ兵が行ったとされ、一説では目的もなく逗留するドイツ兵に対し、地元住民が空襲に備えた防火用水池の掘削を依頼したところ、わずか3カ月で作られたという。
旅館に保存されている写真には、笑顔で作業するドイツ兵たちの姿が写されている。
語り継がれる記憶
本国に帰ったドイツ兵の中には、数十年後再び芦之湯へ足を運んだ者もいる。今もドイツ兵の親族が度々訪れるといい、旅館の女将である牧野文江さんは、「近年も『祖父がこちらでお世話になった』と、お孫さんが宿泊に来てくれた。芦之湯で過ごした記憶をドイツで語り継いでいるのでは」と話した。
地元住民の男性(72)は、幼いころ祖母から思い出話を聞いた。「ある日ドイツ兵が訪ねてきて、黒くて酸っぱいパンをくれたそう。芦之湯の人々と交流があったのだろう」と語る。
阿字ヶ池は今もなお水をたたえ、地元住民により管理されている。旅館裏手にある東光庵には、終戦後帰国がかなわず芦之湯で死去したドイツ兵の墓があり、地元住民の先祖たちと共に眠っている。現在も盆や彼岸、命日に花や線香が手向けられ、交流の記憶が世代を越え生き続けている。
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