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秦野 はだのっ子 いま・みらいコラム

公開日:2011.06.11

はだのっ子 いま・みらい
教育寄稿第30回
自分が変われば相手も変わる
内藤 美彦

 大震災の痛みは消えませんが、それ以後、人が優しくなった気がするのは思い過ごしでしょうか。先だって、電車の中で高校生に席を譲られました。よっぽどの老人に見えたのかと、ちょっと傷つきもしましたが、素直に感謝したのです。紙屑を拾う人など善意の行為が目につきます。人の顔も穏やかに見えるのです。



 こんな思いを友人に話しました。すると「確かに、東日本大震災は、日本人の心に大きな衝撃を与えたと思う。でも、君の人を見る目が変わったのが、最大の原因。他者の痛みを自分の痛みと感じる優しさが、君の心の中に広がったからだろう」と言ったのでした。



 そう言われて、自分の心の変化を考えてみました。



 瞬時に、多くの家屋が倒壊し、数知れぬ尊い生命が奪われた現実を前に、何をする術もない人間の無力さを感じたのです。さらに、いつ何が起こるか予測できないこの世の無常さも身に泌みました。そのことが、人間とは何と弱くて、はかない存在だと思わせたのです。その思いが、私の身の回りを見る目を変えたのに違いありません。



 実際、必ず死の訪れる命あるものがいとおしく、限りない愛着を感じるようになりました。これが優しさなのでしょう。視座を変えると見えなかったものが見え、考えも異なってきます。



 こんな話があります。



 諍いの絶えない嫁と姑がいました。そんなある日、夫が妻に、本人は知らないが、母は癌であと1年の命だと告げたのでした。意地悪な姑がもうすぐ死ぬ、と思うと胸のつかえが取れたようで、心が明るくなりました。それからは、多少の無理を姑が言っても、暫くの間だと我慢し、たまには、姑の喜ぶ物を買ったりしたのでした。そのうちに、姑の態度も変わってきて、言葉遣いも柔らかく、親切になってきました。月日が経つにつれて、姑に尽くす思いが本物になってきたのです。別れが近くなると、身をちぎられるような悲しみに襲われたのでした。



 人に好意を持って接すれば、相手も好意を持ちます。自分が変われば相手も変わるのです。人間は悲しい存在だと思った時、誰もが優しくなります。優しさは、人の良い所に気づくのです。それが、相手を優しくしていくのだと思います。



■プロフィール



横浜国立大学卒業。秦野市立小学校教諭。秦野市立本町小学校校長。秦野市教育委員会教育長を歴任。

 

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