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秦野 コラム鵜の目鷹の目

公開日:2015.12.03

vol.37
鵜の目鷹の目
秦野市元教育長東海大学講師 金子信夫

余生



 先日、「これからの生涯学習」をテーマに講演を依頼され、新宿まで出かけてきました。参加者の中には70歳代から80歳を超える方も積極的に学習しようとしており、私の方が刺激を受けて学習させてもらいました。



 日々青春を標榜している私には、大ベテランの先輩たちが、今をどのように生きているのか、何を生き甲斐として生きているのか、とても興味や関心があります。よく「静かな余生を過ごす」とか「余生を楽しむ」とか言いますが、「余生」を辞書で調べてみると「盛りの時期を過ぎた残りの生涯。残された人生。」とあり、残り物、余りの時間のイメージが強く、超高齢化社会への展開が加速していることを考えると、「余りもの」人生ではあまりに情けなく思います。



 燃え尽き症候群とかキレるシニア世代とかマスコミに取り上げられることを自虐的に受け止めていては「お余り頂戴人生」を過ごすしかないのような気がします。



 そもそも「余」には「われ・私」の意味もあります。私は「余生」とは「自分の自分らしさを発揮できる人生」であるとポジティブに捉えたいと考えています。できれば国語辞典に掲載してほしい位です。



 「私」を抑えて周囲への気遣いを最優先させたり、「我」を主張しては競争に翻弄されたりの第1ステージから、ありのままの「私」を自分流に表現できる第2ステージの舞台に立つことこそ「余生」を楽しむことではないでしょうか?大切なのは、この第2ステージは決して余った余分な人生ではないということ、この第2ステージを充実するための学習(生涯学習)を若いうちから心掛けることだと思います。

 

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