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秦野 教育

公開日:2016.03.10

夫婦で歩んだ5年

  • 冬夫さんのカメラには自宅近くの入場ゲートの画像が現像されないまま残る

 「若い人たちは、避難先で仕事も、新しい生活も得られ、根付くことができる」と話すのは、福島県双葉郡富岡町で暮らしていた平野夫妻。現在は市内平沢で生活を送っている。

 震災当日も仲睦まじく夫婦で買い物に出ていた。尋常でない揺れに「とにかく家に戻ろう」と車を走らせる中、ラジオで津波の情報を聞き山側の裏道へ。揺れで崩壊した道を、通常ならば30分で到着する道のりを数時間かけて帰宅した。

 強烈な余震が続く中、電気も水も通っていない。情報は車のラジオのみ。「どうやら原発がやばいらしい」。帰宅する前提で自宅から通帳だけ持って着の身着のままの避難生活が始まった。食べ物はおろか飲み水すらままならない生活。1週間後にやっと風呂に入り、久しぶりに口にした温かいカップ麺を「こんなにも美味いものか」と感じたという。

 遠くへと避難を続ける中で、息子夫婦の住む秦野へと辿り着いたのは震災から約1カ月後だった。「いつまでも世話になるわけにはいかない」と市役所に相談し住まいを借りた。当時は震災対策室も設置されており「『困ったことはないか』と、とても良くしてくれた」と感謝の気持ちを話す。

 秦野での生活が始まっても、しばらくは憂鬱で出歩くことも少なかった。地元に帰りたいが、帰っても不安しかなく帰れない。今でも海沿いの道は「怖いから」なるべく通らない。冬夫さんは以前趣味で釣りをしており今も車に竿を積んでいるが、震災以後、糸を垂らしたことは一度もない。

 今では「じっとしていると悪い方へ考えてしまうから『ここが綺麗だ』と聞くと、夫婦で足を運んでいる」という。これからは「自由気ままに生活していきたい」と話す。

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