戻る

秦野 コラム

公開日:2017.12.22

努力の結果が「存在感」に
富士山といっしょ
輝く人生のために

 たとえ富士山を10時間見つづけたとしても飽きるということはありません。三角錐の3分の1の上を切り取ったような形状は実にカッコヨクできています。どっしりとした安定感はなにごとがあってもビクともしないと感じさせる「品格」「品位」があります。悠然とすわっている姿からは「神秘性」「精神性」を感じます。私のように生意気で、せっかちで、人間そのものが軽くできている身にとっての富士山は「いつも富士山のようでありたい」と思わせる力強い魅力にあふれています。



 私はこれまでの富士山の爆発回数や山に山が折り重なってできた地層、永久凍土の下方へのゆるやかな推移も詳しく知ってはいますが、それもこれをも全部含めて富士山の姿、精神性、神秘性が万人に感銘を与えているのは、富士山自身の長い年数の自助努力があったからだと思えるのです。そう思わせるものが「富士山そのものの存在感」だと思います。



 山も人も、一朝一夕にして「存在感」と感じさせるものが形成されるわけではありません。視える努力も、見えない努力も融合された結果として「存在感」はそこに現れてくるものだと思っています。

 

    ピックアップ

    すべて見る

    意見広告・議会報告

    すべて見る

    秦野 コラムの新着記事

    秦野 コラムの記事を検索

    コラム

    コラム一覧

    求人特集

    • LINE
    • X
    • Facebook
    • youtube
    • RSS