戻る

秦野 コラム

公開日:2022.11.04

常若遊人(とこわかゆうじん)〈秋・【2】〉
源家最後の将軍
エッセイスト・加藤正孝(鶴巻)

 実朝は、武門の棟梁として期待された訳ではなかった。兄頼家の憤死・将軍就任わずか2年後時政・(継室)牧の方による実朝暗殺未遂、忠臣和田義盛の戦死...彼にとって死は遠いものではなく近い将来の確実なのだ。

 そういう実朝にとって自己の存在証明(アイデンティティー)となり、且つ後鳥羽上皇ら朝廷との良好な関係を築くトゥールにも、それは歌(・)であった。22才の時自撰した金槐和歌集663首。他にその後に詠んだ不収録94首の計757首"大海の磯もとどろに寄する波破(わ)れて砕けて裂けて散るかも"(岩に砕ける大波に虚無と孤独を)"現(うつつ)とも夢とも知らぬ世にしあればありとてありと頼むべき身か"(夢か現実かわからないこの世を頼みにできるのかという諦念)"出でて去なばぬしなき宿となりぬとも軒端の梅よ春を忘るな"(私が出ていったら主のいない家となっても梅よ春を忘れないで咲いてくれ、これは辞世の歌?)。実朝は当代の歌人藤原定家の指導をうけ多くの秀歌を遺したが、この間彼は将軍としての権威を知らしめるべく二つの挙にでる。宋(中国)から来た工人・陳和卿(ちんなけい)に命じて渡宋を企てる。執権北条義時や母政子にとっては常軌を逸した行動に映ったが彼には彼なりの必然があった。しかし臣船は進水せず、この大プロジェクトは失敗に終わった。※更に朝廷に官位の昇進を願い出る。無論周囲の強力な反対や諫言(かんげん)もあったが、子供のいない自分にとって源家の正統は途絶え、せめて家名を挙げたいとしてそれを斥ける。

 即ち中納言→権大納言→内大臣→右大臣とトントン拍子に昇進しあと太政大臣を残すのみに...もし実朝が最高の地位を得たら北条氏の勢いは阻害される。官(かん)打ち※に遭ったかのように愈々実朝殺害の計略が現実化してくる。遅かれ早かれ、それは実行された。こうして運命に翻弄された彼の28年の生涯は、あっけなく幕を閉じる。

 ※この事件のことは、大正時代に坪内逍遥の戯曲「名残の星月夜」を実朝扮する中村歌右衛門が演じている。※官打ちは官位が高すぎて不運な目にあうこと。(続く)

    ピックアップ

    すべて見る

    意見広告・議会報告

    すべて見る

    秦野 コラムの新着記事

    秦野 コラムの記事を検索

    コラム

    コラム一覧

    求人特集

    • LINE
    • X
    • Facebook
    • youtube
    • RSS