秦野市の芸術を語る上で欠かせない存在となっている、洋画家・宮永岳彦。「光と影の華麗なる世界」と称される美人画で知られた画家で、鶴巻には宮永の作品を常設展示する『秦野市立宮永岳彦記念美術館』がある。
宮永は父親の転勤のため、静岡県磐田郡(現・磐田市)で1919年に誕生。名古屋市立工芸学校(現・名古屋市立工芸高等学校)卒業後、松坂屋百貨店名古屋本店に入社した。宮永が秦野にやってきたのは、2度の兵役後のこと。実家のある秦野市名古木に帰りアトリエを構え、松坂屋百貨店銀座店宣伝部に勤務しながら、1946年から15年間にわたり創作活動を続けた。その後、活動の拠点を東京都新宿区筑土八幡町に移し、1987年4月に68歳で逝去した。
油絵はもちろんのこと、ポスター、書籍等の表紙画と装丁、挿絵、水墨画に及ぶ異色というべき多彩さで作品を残し、それぞれ第一級の先駆的業績をあげた宮永。特に知られているのは、『ぺんてるくれよん』のパッケージ(向かいあう男の子と女の子)や『小田急初代特急ロマンスカー』(3000形SE車)の内外装のデザインだ。また、宮永は1974年にブラジルの日伯文化協会(現・ブラジル日本文化福祉協会)の依頼によって、当時の皇太子と皇太子妃(現上皇・上皇后陛下)の肖像画を描いている。この『皇太子・同妃両殿下御肖像画』はいずれも60号の大作で、サンパウロ市にある日伯文化協会皇太子記念館貴賓室に奉掲された。明治以降、日本人で宮内庁の正式な許可を得て天皇家を描いたのはこの作品だけといわれており、宮永はこの作品によって、ブラジル政府からサン・フランシスコ最高勲章グランクルース章を受章した。
このように名誉ある賞を受賞し、多種多様な作品を残した宮永は、実家・アトリエのあった秦野を"ふるさと"として愛していたという。クアーズテック秦野カルチャーホールの緞帳(大小ホールともに)や市内の学校校舎の壁画、カルチャーパーク中央にある噴水の像、秦野の夏の祭典『たばこ祭』のポスターなど、市内に多くの作品を残している。
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田原ふるさと公園野菜直売研究所0463-84-1281/そば処東雲0463-84-1282 https://www.kankou-hadano.org/pointinformation/pointinformationguide/point_tawarafurusatokouen.html |
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