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三浦版 公開:2017年3月24日 エリアトップへ

三浦の散歩道 〈第127回〉 みうら観光ボランティアガイド協会

公開:2017年3月24日

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広い農地の中を流れる庄司川
広い農地の中を流れる庄司川

 「高円坊」から「和田」を経て「入江」に至る川があります。「庄司川」と現在では表記していますが、往昔は「精進(しょうじん)川」と呼称していたようです。延享三年(1746)に記された「高円坊村五劫寺縁起」の中に「人王五十代桓武天皇ノ後胤葛原親王ノ末葉三浦ノ大介平ノ朝臣義明ノ孫杉本太郎義宗ノ嫡男和田ノ左衛門平(たいら)ノ義盛、尊崇帰依ノ道場ナリ、故(ゆえ)ニ、志(こころざし)アル輩(ともがら)ハ、寺前ノ流ニ垢離(こり)(註、神仏に祈願するとき、冷水をあびて体と心を清めること。)ヲ取テ、コノ尊像(寺に祀られている地蔵菩薩像のこと。)ニ参詣ス、是(これ)ニヨリテ、ソノ流川(ながれ)ヲ精進川ト云ハ、是謂(コノいい)ナリ、即(すなは)チ寺ハ義盛ノ城廊ノ東ニアタリテ立(たつ)。ソノ敷地ノ東ハ森林叢々(そうそう)トシテ松風鎮(とこしなへ)ニ吟ジ、南ハ海浜船(ふな)ハタヲ並(ならべ)テカマビスシ、西ハ平原渺々(びゃうびゃう)トシテ遠ク高山ヲ向ヒ、北ハ山マタ山ヲツヅケ、其嶺高ク境内ニ山谷(さんこく)ヲカマヒ、往昔(そのかみ)ハ諸堂イラカ並ベ建(たつ)トイヘドモ、有名無実ノ敷地ノミ残レリ(中略)其(その)麓(ふもと)ヨリ西ニ当テ霊泉アリ、大井戸ト云フ、コレ三浦七井(なない)ノ随一ナリ、(中略)日夜十二時ニ湧出(わきいづ)ルコト見ル人目(ヒトメ)ヲヲドロカス、信ニヨリテ霊泉ノ利益ヲ現ズル事コレ多シ、故ニ、所ノ里名ヲ大井戸ト云ヒ、寺ノ山号ヲ大井山ト号スル事コノイワレナリ、」と記されています。ただ残念なことに「大井山五劫寺」は廃寺になってしまいました。

 先日、上宮田の地に住まいし歌やピアノで活躍されておられる高梨悦子氏から、『あゝ和田義盛』(作詞・原博良、作・編曲・横山太郎)で唄はビクター専属の鳴海重光氏という資料を頂戴しました。その歌詞の中に、「三戸黒崎に 潮みちて いざ鎌倉と 草燃ゆる 侍所別当(さむらいところべつとう)と ほまれも高き義盛が 心清めし 精進川」の一節がありました。まさに、和田義盛は「弓術八巧手」と呼ばれる達人です。頼朝の新邸における「弓始めの式」の射手として務めたことを始め、生涯、射手として十一回、これらの行事の奉行として三回も務めています。それほどの武人(ぶじん)でありながら、信仰心も厚く、建久二年(1191)父義宗と叔父の義澄の菩提を弔うため、横須賀の大矢部に「薬王寺」(現廃寺)を建立したり、「三浦七阿弥陀仏(堂)」を造ったとも言われています。このうちの一つに、横須賀の芦名に在る「浄楽寺」は、文治五年(1189)に義盛の創建になる寺で、毘沙門天立像や不動明王立像は仏師運慶の作であり、国の重要文化財になっています。これらも、胎内から発見された銘札によって和田義盛夫妻の依頼で制作されたものと言われています。

 三崎1丁目の「光念寺」も和田義盛開基の「三浦七阿弥陀堂」の一つでもあります。

(つづく)
 

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