鎌倉と源氏物語 〈第11回〉 当時は鎌倉文化圏 外港六浦
「武士の都」として知られる鎌倉ですが、『源氏物語』と深い関係があることはあまり知られていません。文化薫る歴史を辿ります。
今でこそ若宮大路が鎌倉のメインストリートになっていますが、それは第3代執権北条泰時が1225年、若宮大路沿いに幕府を移転させてからのことです。
頼朝が開いた大倉幕府は第3代将軍実朝までで、この当時の幹線道路は寿福寺から鶴岡八幡宮の前を通って金沢八景に抜ける金沢街道でした。今回のテーマ「六浦」は朝比奈峠を越えて下りた所です。
今は横浜市となっている六浦ですが、当時の鎌倉にとって重要な外港でした。相模湾が遠浅で大型船が着けなかったためで、一方の六浦には唐船が三艘も入ったとの伝承からついた「三艘」の地名があり、繁栄していたことが窺えます。
源頼朝建立の浄願寺と比定されている上行寺東遺跡もこの六浦にあり、六浦湾を見下ろす高台にありました。遺跡はマンションの建設に伴って発見されました。たくさんのやぐらを伴うこの中世墳墓群の遺跡は、全国でも例のないものだったために大々的な保存運動が展開されました。が、叶わず今は一部がレプリカとして公開されています。
遺跡にはやぐらと共に岩盤に彫りだされた阿弥陀如来座像があり、背後に遠く朝比奈峠が見えます。この像は破壊されて首から上がありませんが、春と秋の彼岸の中日には真上に夕陽が沈む、荘厳な西方浄土信仰の場でもありました。今も金沢八景駅から歩いてすぐのこの遺跡でそれを体験することができます。
織田百合子
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