青葉区 社会
公開日:2025.08.14
戦後80年 語り継ぐ記憶
「戦争ってホントに馬鹿」
青葉区在住 Sさん
「東京大空襲の新聞記事や写真、全部取ってあるの」とSさん(93)。空襲で焼けたエリアが赤や黄に色付けされた、隅田川周辺の地図をテーブルに広げる。当時の自宅は言問橋にほど近い川っぷち。色付きの地図が、そのすぐ手前まで火の手が迫ったことを物語る。
東京大空襲があった1945年3月10日、Sさんはまだ中学1年生の少女だった。空襲警報に目を覚まし、父母と幼い弟たちと共に防空壕へ。しばらくして外に出たSさんが目にしたのは、見渡す限り真っ赤に染まる空と、浅草の方へ向かう何百というB29の編隊だった。一斉に落とされる焼夷弾と、B29に向かって放たれる高射砲で、あたり一面は見る間に火の海に。川の両側から火の手に追われた人々が、言問橋で鉢合わせ、次々と川へ飛び込んでいった。「私たちもと思ったけれど、熱にあおられて風向きが変わったのね。そのおかげで助かって、『神風』だとほっとした」
翌日から、Sさんは徒歩と地下鉄で学校へ。うず高く積み重なった遺体の山を縫い、異臭に鼻をつまんで歩いた。川上からは、髪の毛が焼ける独特の臭い。そんな中「遺体が浮いた川で、弟とハゼを釣って晩ご飯にしたのよ」。今考えるとぞっとするが、当時は気にする余裕もなかった。「だから、戦争は怖いわね」と悲しげにほほ笑む。
「日本から始めた戦争。それを知っていたから、当時から戦争には疑問があった」。3年前に亡くなった夫は、代々軍人の家系。「戦後、義母が夫の軍刀を折ったのだそう。『日本を守りたい』と軍人になった義母の父親は、戦争一色の国を憂えて自ら命を絶ったから」。夫もそんな人だった、と懐かしむ。「戦争ってホントに馬鹿」。そのつぶやきには、複雑な思いがにじんでいた。
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