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公開日:2026.07.21

師岡町在住高沢さん 元首位打者、今は保育士 純粋な笑顔と歩む第二幕

  • 大豆戸どろんこ保育園の正門前に立つ高沢さん

    大豆戸どろんこ保育園の正門前に立つ高沢さん

  • プロ野球選手時代の高沢さん(どろんこ会提供)

    プロ野球選手時代の高沢さん(どろんこ会提供)

  • 園児と触れ合う高沢さん(同)

    園児と触れ合う高沢さん(同)

 元プロ野球選手で首位打者にも輝いた高沢秀昭さん(67)は、現在、港北区内の大豆戸どろんこ保育園で保育士として働いている。還暦を過ぎてから専門学校に通い、国家資格を取得した異色の経歴の持ち主だ。子どもたちの純粋な笑顔に囲まれ、充実した第二の人生を歩んでいる。

 1歳児クラスの教室に、「じぃじ!」と子どもたちの元気な声が響く。目尻を下げて優しく応えるのは、元ロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)の高沢さんだ。プロの世界で首位打者を獲得し、プロ野球史に残る1988年10月19日のロッテ-近鉄戦、いわゆる”伝説の「10・19」決戦”で劇的な同点本塁打を放った名選手である。引退後はコーチや球団のアカデミーに携わるなど、中学から約50年にわたり野球一筋の人生を送ってきたが、61歳での契約満了を機に、新たな道を歩み始めた。

 転機となったのは「純粋に子どもと関わる仕事がしたい」という素直な思いだった。長年連れ添った妻をがんで見送り、一人暮らしの中で浮かんだ願い。

 持ち前の行動力で近所の保育園へ飛び込み直談判すると、園長から資格取得を勧められ、61歳にして専門学校の門を叩く。40歳以上も年下の若者たちと共に机を並べ、過酷な実習や未経験のピアノに悪戦苦闘しながらも、2年間通い抜き見事に国家資格を手にした。

感謝される日々に喜び

 現役時代は、自費で高額なアンテナを設置してメジャーリーグのプレーを研究するなど、非常にストイックな選手だった。一方で、晩年西武に移籍した江夏豊投手と対戦した際には、打席で思わず「すごい」と一人の野球ファンに戻って胸を躍らせたという。結果は凡退したものの、右打者のアウトコースへの抜群の制球力に肌で触れたことは今でも鮮明に記憶している。とはいえ、当時は常に解雇やケガの恐怖と隣り合わせで、心から野球を楽しむ余裕はなかったという。

 しかし今は違う。命を預かる緊張感はあるものの、持ち前の体力で同僚から重宝され、「ありがとう」と感謝される日々に心からの喜びを感じている。就職直後に腰を痛めて挫折しかけたこともあったが、園長の温かい勧めで無理のないパート勤務に切り替え、元気に働き続けている。「この年齢になって、ワクワクドキドキできるのは面白いですよ」と、柔和な笑顔を見せる。闘病中の妻から看病の合間に教わった家事の作法のおかげで、現在の独り暮らしも快適そのものだそう。

 いま密かに抱いている野望は、来春卒園する園児たちのために、自らのピアノ伴奏で童謡『思い出のアルバム』を弾いて送り出すこと。専門学校の授業で始めて以来、右手と左手が合わさって一つの曲になる達成感の虜になり、自宅で毎日欠かさずコツコツと練習を重ねている。かつてバットとグローブを力強く握りしめていた両手は今、繊細な鍵盤の上で音を紡いでいる。

 高沢さんが体現するセカンドライフとは、過去の栄光にとらわれず、未知の世界へ飛び込む勇気を持つことだ。誰かのために尽くし、「今」を穏やかに全力で楽しむその姿は、人生100年時代を生きる同世代の背中を優しく、そして力強く押してくれるに違いない。

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