東京五輪、食を通じて楽しんで―。
ホテルニューグランドで7月13日から「1964 選手村食堂メニュー」が提供されている。9月5日まで。
これは同ホテル2代目総料理長だった入江茂忠シェフが、1964年に開催された東京オリンピックで選手村「女子食堂」の総料理長を務めていたことから企画されたもの。日本ホテル協会に保存されていた当時のレシピや、同ホテルの宇佐神茂総料理長が保管していた資料をもとに、再現メニューが考案された。タワー館5階のパノラミックレストラン「ル・ノルマンディ」では、野菜入りすましスープやひらめのバター焼き、仔羊チャップのグリルなどの伝統的な料理をアレンジしてコース料理に。本館1階コーヒーハウス「ザ・カフェ」では、選手村食堂で人気の高かったペッパー・ステーキを提供。当時は牛ランプ肉だったが、今回は肉質の柔らかいリブロースを使用している。
日本の食文化東京五輪で発展
1964年の東京五輪の選手村開設にあたり、入江シェフのほか、日活ホテル料理長の馬場久シェフ、第一ホテル料理長の福原潔シェフ、帝国ホテルの新館料理長だった村上信夫シェフといった日本を代表する料理人が食堂を任された。
当時52歳だった入江シェフは女子食堂の総料理長を務め、選手やコーチなど93カ国、約7000人の利用者をもてなした。ホテルシェフだけでは足りず、街のレストランなど全国から約300人の料理人が集められ、帝国ホテルのメニューを基盤に考案されたレシピが共有されたという。「『目で盗め』と言われる料理人の世界でレシピを公開するなんてありえないこと。しかしそのおかげで日本の西洋料理の発展につながっていった」と宇佐神総料理長。
また、大量のメニューを調理するため冷凍技術向上にあたりメーカーと協力して進めるなど、選手村食堂に関わるシェフをはじめ、多くの人たちの努力で、日本の食文化は劇的に飛躍。東京五輪は、日本人シェフの料理技術が世界に認められるきっかけになったのだ。
レガシー受け継ぐ1皿に
当時のオリンピック・メニューを見せてもらうと、栄養やスタミナが重視されていた選手村での食事は肉料理を中心に、「牛肉パイ包焼(アルゼンチン)」「黒豆と豚肉の煮込み(ブラジル)」など、各国の伝統料理をアレンジし、おもてなし料理として出されていたことが分かる。
宇佐神総料理長によると入江シェフは五輪終了後、バナナのフリッターを添えた「チキンのフロリダ風」など、選手村で出していたメニューを日替わり料理に採用することも多かったというが、レストランの企画として提供するのは初となる。
同ホテルでは「シェフの脈々と受け継がれているレガシーのようなものを、歴史や食を通してお客様に楽しんでいただけたら」と話している。
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