意見広告・議会報告
活動報告 朝の駅立ち30年 衆議院議員 古川なおき
30年間、ほぼ毎日駅前で街頭演説を続けてきました。政治家二世やエリート官僚でない私が唯一誇れるものは、「街頭に育てられた政治家」だということです。父は普通のサラリーマンで、苦学して水産会社の営業職になりました。全国の漁港に出張も多く、アジの干物などお土産が食卓に並ぶのが楽しみでした。寡黙でまじめ。子どもに干渉しない父でしたが、私が銀行を辞め選挙に出たいと相談した時は烈火のごとく怒られました。
母は生後半年で故郷広島で被爆しました。毎年8月6日には遠い広島を向き手を合わせる母の背中を見て育ちました。
そんな家庭で育った私は明治大学を卒業後、地元の横浜銀行に就職しました。世はバブル後の不況期。中小企業の社長さんの悲哀、年金暮らしのお年寄りの不安。世の中を政治の力で明るくしたいと思いました。26歳で母校希望ケ丘高校がある旭区より横浜市会議員に挑戦して初当選。以来7期連続当選。市会では政務調査費改革で領収証の全面公開、使途の限定などを実現しました。
30年続けてきた朝の駅立ちですが、最初の頃ビラを取っていただいた方が、いつしか定年退職され、そのお子さんがお孫さんを連れて改札を通る時代になりました。
冒頭の父は13年前に癌で他界しました。初出馬の時に猛反対して以来、私の政治活動には一切興味を示してこなかった父ですが、遺品から私が載っている記事のスクラップ帳が出てきました。寡黙で実直だった父の横顔を想う時、世間に恥じる政治家にだけはなるまいと思います。自民党の「政治とカネ」の対応も、まだ不十分です。30年続けてきた駅立ちと同じく、「改革に終わりなし」の志で取り組み続けます。 10月7日寄稿
|
|
|
|
|
|