―区制90周年記念―【連載【7】】 鶴見90年のあゆみ 「昭和42年〜51年」
【鶴見川一級河川に】
横浜市内唯一の一級河川となる鶴見川。指定を受けたのは昭和42年。全長42・5Km、流域面積約235Kmで、流域内人口密度は全国109水系中1位を誇る。現在では散歩コースなど、多くの区民に親しまれているが、かつてはその穏やかな水面からは想像できない「暴れ川」の顔を持っていた。
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江戸時代にも記録が残るほど、流域住民は昔から浸水被害に悩まされてきた。
住民らは明治40年、43年の水害を機に、国費による河川の改修を請願。度重なる被害から、国が動いたのは昭和13年の豪雨がきっかけだった。
同年6月29日〜7月1日の豪雨により、鶴見川中流が氾濫。床上浸水約4千戸、床下浸水約7千800戸の大被害をもたらした。
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国は翌14年、本格的な改修工事を開始。だがその後も台風や豪雨による被害は続いた。
暴れ川として、最も甚大な被害を生んだのは昭和33年の「狩野川台風」。この年の9月26日〜27日に関東地方を襲った狩野川台風により、鶴見川各所が決壊。床上浸水1万6991戸、床下浸水は4万8766戸に上った。
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鶴見川が一級河川となった高度経済成長期、流域の市街化面積は急増。都市型水害発生と被害拡大が懸念される中、その対策は急務となっていった。
昭和55年、国は、都市計画と合わせて、流域全体の施設・土地の利用を洪水対策のために行うシステムを形作った。市民や団体、企業らが連携・協働。総合治水対策協議会ができたのも鶴見川が初めてだった。これは全国のモデルケースにもなっている。
浸水被害は昭和57年を最後に発生していない。恒例の花火大会・サマーフェスティバルの会場でもあり、元宮には漕艇場も設置されている。当たり前ではなかった憩いの場が今はある。
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