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公開日:2023.01.12

松見町 誕生から60年
地域住民の話で今昔辿る

  • 現松見町二丁目西部町内会館から鶴見区方面を望む。田んぼなどの緑の中に家がある1960年頃(上・提供)に対し、現在は住宅街が広がる

 鶴見区や港北区と接する神奈川区の「松見町」。区内でも松見町は1963(昭和38)年からと比較的新しい町名で、今年で丸60年。そこで松見町以前から現在までを知る町民の堀江芳雄さん(83)、岡谷博さん(76)、阿藤和久さん(89)に話を聞いた。

昔は屋号も

 松見町は神奈川区西寺尾町、鶴見区馬場町、港北区菊名町の一部から誕生した、横浜線の西側を指す地域。それ以前は田畑など田園風景が広がる緑豊かな一帯で、大正期には畜産が行われる「子安農園」が存在した。その頃の同地域に住むのは約20世帯ほどという数だったそうで、呼び名として「酒屋」「内路」「政所」などといった屋号も用いられていた。

子安小学校まで通学

 そんな地域が松見町に生まれ変わり、1丁目から4丁目までが新設された。60年前の当時は7千人ほどの人口。町内の子どもたちは現在も大口台小学校、西寺尾小学校、港北小学校に通っているが、これらは1940〜50年代のベビーブームに創立した学校で、それまでは子安小学校まで通学していたという。

 そんな松見町の60年の歩みの中、大きな出来事としては区画整理が挙げられる。道路の拡幅などにより、緊急車両やバスが通行できるようになった。高度経済成長に伴い、マンションや住宅なども多く立ち並び、今では1万1735人が暮らす町となった(2021年3月31日現在)。2丁目の町内会が東部と西部に分かれているのも、人口増加が背景としてある。

 その延長線上にあるのが、東海道貨物線の建設だ。松見町一丁目中央公園から神之木交番のそばにかけて約500mにおよぶ地上を走る同線。1960〜70年代においては住民による反対運動も起きたが、線路近くには保育園や介護施設、公園、スーパーなどが立ち並び、これらは騒音の緩衝地域となっている。

 これらの出来事によって町の様相が大きく変わった松見町。堀江さんは「今後も住宅地として地域のつながりを保ちながら、知られざる歴史も継いでいってほしい」と話した。

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