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高津区 コラム高津物語

公開日:2014.10.24

高津物語
連載第八六五回 「『いやのめ』その三」

 地方史は難しく、奥が深いと言われている。



 だから面白いとも言う人もいる様だが…。



 久地村のことを、全く理解していない事が判明した。



 先ず久地伊屋之免集落の所在地は、住居表示から久地五四五―七二四番地である事が判明した。



 久地村の最も西寄りの地域をいい、具体的には主要地方道川崎・府中線、府中県道を北上して、新平瀬橋を渡り、巨大マンション(スニカー・タウン)を右に進んで行くと、新川橋を渡った左方に人家のない樹木だけの斜面が現れる。



 この辺りが伊屋之免集落の始まりであるが、府中県道を跨いでニヶ領用水が流れて来ているが、府中県道脇に、昔の分量樋があった場所を示す石柱が建って居る。



 更に上ると左に光州産業・右に高津消防署久地出張所前を抜け、久地駅前交叉点、直進して、左に川崎信用金庫久地支店を通抜け、JR南武線久地駅踏切りを渡って、府中県道を直進すると右側に国民銀行久地支店、左側に昔からの米穀商―田中商店があるが、ここ迄が高津区久地の北限になる。 



 昔は府中県道の左側一帯をイヤノメ部落と言った。



 当時は多摩の横山の山裾迄は、草深い原っぱで何時もニヶ領用水があふれて水溜りになったらしく、年中、じめじめとした土地であったと思われる。



 それ故に、イヤノメ部落は減免処置がなされている特別な存在であった―と思われる。



 府中街道の進行方向は多摩区宿河原六丁目と住居表示が変わるが、府中県道の右側を長尾用水から宿河原久地用水が流れている。



 川幅広く深く、私も小学校高学年の頃、ドジョウを捕えるために、友達と川野辺に降りた経験がある。



 久地駅から東方面に見える山の緑が、津田山駅からの公園墓地北端に当る。



 此の下に大きなマンションと久地診療所があるが、診療所の住所が久地六六〇番地である。その昔、津田山山頂から南武線線路方向に川が流れて、現在の府中県道を、ニヶ領用水として久地分量樋に流れていた。

 

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