連載第一〇〇七回 高津物語 「麻疹(はしか)」
太平洋戦争の最中、東条英機内閣のプロパガンダ政策である「産めよ増やせよ!」を真に受け、父と母は二人の子を出産した。
私の後の出産で妹と弟が、生まれた。誕生記念の写真を見て、見るからに頭の賢そうな女の子だった。
美人薄命というが、生まれて一年くらいで死んでしまった。食べ物も無く、ドライ・ミルクも配給で少ししか手に入らなかった。
季節が寒くなり、風邪をひき、肺炎を併発、高熱を発して死んでしまった。
私はまだ幼稚園にもいかない幼児だったけれど、大人の話で、酸素ボンベが手に入らず、酸素ボンベさえあれば、命が助かるのに、という悲痛な話を聞いた。
可哀想な妹を見て、私は代われるものなら代わってやりたいと、思ったものだ。
お医者さんはこの時は溝口神社前の川浪先生で、自転車で往診して下さった。
戦局が厳しくなり、大人の食べる物も欠乏し、耐乏生活を強いられた。
続いて、その下の男の子も、肺炎で死んだ。
麻疹―はしか、一生に一度の大患いと言われ、今日では疾病にもならないが、栄養状態の悪い江戸時代や物質の欠乏した太平洋戦争中など、麻疹に罹り肺炎を併発して死に至らせた。
現在でも肺炎は死亡順位の第三位と高く、私の二番目の兄(立命館大学教授)も、肺炎で亡くなった。
麻―しびれる、疹―温熱病の発疹を指し、麻疹に罹ると、発病して咳こみ、涙目になり、口中粘膜に白点を生ずるなどの症状を見せるのが特徴。
熱が出てから三〜四日で出疹が始まり、頭、顔、胸、背中から手、足にも湿疹が出る。
順調なら三、四日で発疹も隠れ、熱も引いて回復する、という。
が問題は拗らした時。日頃から抉らす事のない様に日頃の細心の注意こそが必要なのだ。
マスクを着用して、なるべく外出を控えて、人混みから遠ざかり、極力温かく安静にし、外出から帰ったら必ず含嗽薬で嗽をして、風邪に罹らない最善の準備をしておくべきだ、というのが長生きのコツだ。
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