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高津区 コラム

公開日:2017.10.20

連載第一〇一七回
高津物語
「二子玉川音頭」

  作詞 松村義人



  作曲 杵屋左三郎



  振付 藤間壽右衛門







1 玉川よいとこ



  玉川二子



  鮎の住むとこ



  小粋なところ



  鮎は瀬にすむ



  鳥や木にとまる



  人は情のもとに住む



  ヨイヨイ ヨイヨイ



  ヨイヤサ







2 高津よいとこ



  名のある所



  稲毛三郎の城の址



  諏訪の河原にや一本松







3 久地の梅林



  夕日が暮れる



  二子花街紅火が灯る



  紅い灯に黒髪てらし



  雪の肌をば化粧する







 郷土史の大先輩、上田恒三氏『高津村風土記稿』の『二子花柳界の盛衰』から引用した。



 昭和六年(一九三一)二子三業組合―料亭・芸者置屋・待合(本来は茶室に付属した建物の一つ、客が茶室の空くのを待ち合わせる場所だった)が制定し、芸者に宴席で歌わせた音頭であるという。



 二子料亭には、多くの有名文人が来ていた。二松学舎創立者で漢学者の三島中洲が一八七六年(明治九年)二子亀屋に来て「一茅楼岸(ぼうろんがん)に臨みて、而してそばたつ亀亭」と詠んだ。続けて「主人酒食を具え、遊客を待つ」と詠んで、二子亀屋を満喫している。



 一九二四年(大正一三年)六月号『随筆』(随筆社)に、文士達が同社の主催で玉川で遊んだ特集に出ている。



 未だ、玉電は来ていないので「多摩川の渡し」で二子玉川から渡しで渡って「二子亀屋」で会合している。同行者は田山花袋・近松秋江・里見弴・岡本一平・久米正雄・佐々木茂策・宇野浩二・中村武羅夫・吉井勇・葛西善蔵・久保田万太郎・牧野信一等々錚々たる文士二二人、そのうち十四人が随筆を寄せている。溝口亀屋と並んで、二子の亀屋は、大いに都会人に遊興を提供した。「二子新地」とは、本来は、遊興の新地であった。

 

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