連載第一〇三七回 「高津区の景観とまちおこし」 高津物語
高津町がまちの景観を整えるのは、皮肉にも高津警察署が府中県道沿いの旧溝口四一番地、現在の場所に移転した後のことだったと思っている。太平洋戦争末期、第一次強制疎開といって、高津町役場、現大山街道ふるさと館への延焼を防ぐことを目的に、隣接建物の撤去をするため、馬絹に駐留する東部第六二部隊が出動した。部隊が二カ領用水から六カ村堀までの全家屋を壊し、その家主は「有難う御座いました」と言ったという話が残る。また、第二次強制疎開は六カ村堀から府中県道までだった。
戦争が終わるのがもう少し遅かったら、灰吹屋家屋や田中屋も取壊しの憂き目にあったはずだと考えると、思わず背筋が寒くなる。
そんな大山街道の現在は、高層ビル化して、昔日の面影は影をひそめてしまったように見える。『高津物語』を書き始めた二〇年前と比べると、大山街道二子、溝口の景観は、見事にすっかりと変わってしまった。
にもかかわらず、いや、それ故にこそ、郷土の歴史を語っていく語り部こそが必要だと信念を持って言いたいと思っている。
この『高津物語』は私も一員だった高津青年会議の出発と共に始まった。言うなれば、「まちおこし」の一環であり、そのまちづくり運動の延長上にあったと言える。
「まちおこし」が叫ばれ、『タウンニュース』高津区版がタイミングよく発刊され、ある方の推薦によって、私が『高津物語』という郷土の歴史を書く運命となったのだ。
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