連第一〇五六回「真夏の夢」 高津物語
今年は殊の外に暑い。若かった私達は耐暑訓練と称して、「高津区民祭」を創始した。当時の私は世代の半ばで、暑さなど問題にしなかった。というよりは、問題にする程の暑さでもなかったのだ。八〇歳になって判ったことだが、さすがに暑さは堪える。今更、回数を重ねてきた開催日を変更する訳にもいかないが、一度じっくり考え直して欲しいと、提案したいと思う。今となっては、負け惜しみである。だが、若い女性方は、浴衣を着る絶好のチャンスと、暑さ大歓迎という。世の中には種々の意見があるものだ。もう一つ、青年会議現役時代に創ったものに「多摩川花火大会」がある。川崎市観光協会会長の斉藤文夫氏が、二子玉川に持ってきて頂いたものだ。というより、川崎、丸子橋と移ってきたのは、川幅が狭くなり、花火を打ち上げるには、危険な状況になったらしい。二子玉川が会場になり、賑やかになり良かったと思うのは私一人ではないと思う。「高津区民祭」を創始した頃は、大山街道の高層ビル化は、今ほど進んでいなかったと思う。この一、二年で急ピッチに高層ビル化が進んだ。古くからの大山街道がなくなってしまったが、池田屋クリーニング店蔵、稲毛屋金物店蔵、岩崎酒店蔵、灰吹屋薬局蔵、田中屋茶店蔵、多奈加屋呉服店蔵、飯島金物店蔵、平間屋質店蔵が残っているのは、有難い限りで、住時の「大山街道」を偲ぶに十分である。願わくは、新しい街道筋のマンションから「高津区民祭おめでとう」の垂れ幕でも下ってくれれば、『高津区民祭』は、最高に盛り上がると思うのだが、どんなものだろうか等と、老人の格言だ。
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