高津区版 掲載号:2018年8月17日号 エリアトップへ

連第一〇五七回「二子新地の誕生」 高津物語

掲載号:2018年8月17日号

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 大正一四年七月に「二子橋」ができた。長さ四四〇米、脚橋二三基である。

 玉川電車が二子橋を通って溝口まで来ると、東京側の岸辺には料亭が立ち並び、屋形船を浮かべて川遊びに興じた。当然、川崎側にも花街ができた。三業地―料亭・待合・芸者置屋、二子新地の誕生である。料亭「仙寅」の創業は、大正八年頃で始め、川向うの東京側で店を構えていたが、大正十五年、昭和元年に二子に移ってきたという。多摩川の船遊びが盛んなのは東京側で、五〇人乗りの屋形船を持っていた。河から離れた川崎側は、川遊びはしなかったという。「仙寅」が来る前の二子は、待合と芸者置屋だけの二業地で、待合だけで五、六〇軒あったという。東京側の料亭で鮎料理を楽しんだ客が二子の渡しを渡って川崎側で遊んだのだろうという。芸者衆も、昭和五、六の最盛期には百人近くいて、それは華やかでしたとか。お客さんは、地方の人より、世田谷方面の人が多くいらしてました…とか。当時は砂利景気に湧いてはいましたけれど、会社関係の人が戦後、地元に会社が増えましたから、今度はほとんど会社のお客様になりました。戦前には五、六〇軒ある待合に皆出前に行ったんです。料亭はうち一軒でしたから。いつも夜二時に看板でしょ。それから洗い物を片付けたりしていると四時なんです。それで朝は九時か十時には、また出前の注文なんです。

 この商売でつらい事なんて余りなかったけれど、出前してた頃は、雪の日に重いおかもちを持っていきながら「早くやめたいね」なんて言ったこともありました。(吉野カツさん談)

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