連載第一〇六四回「紺屋」 高津物語
「高津の紺屋」を取り上げて、考察を進めてきた。
「紺屋」というのは、いわゆる「染め物屋」であるが、いつの頃からか「紺屋」を「クリーニング店」というように変わった。私の家の左隣にも、「水上クリーニング店」があり、親しくした。
私たちが結婚したての頃に偶然お隣となったので、急に天候が悪化した時など、洗濯物を取り込んでくださったりして有難かった事があった。
その後、伊豆の方に越して行かれたが、その後お隣は、お米屋さんになり、今再び「クリーニング店」に代わっているから、不思議だ。家の前を通っているのは「府中県道」である。
幼き日―昭和十年代、私の幼少時代であるが、私は府中街道に耳を押し付けて、車の音を聞いていた覚えがある。今から何十年前のことであるが、その頃の「水上クリーニング店 物干場」の古い写真が残っている。
街のいろいろな所から、集めてきた写真であるが、懐かしいというよりも、貴重という方が当たっていると、自分でも思う。岩波新書『日本語』三国一郎著に、旧日本帝国陸軍は、全て「音読み」で発音したから「物干場」は「ブッカンジョウ」と発音したと書かれている。そんな習慣を少国民であった私たちは「格好良い」等と思っていたから、好い気なものである。
家の裏門は、出るとすぐ「府中県道」になっていて、高津消防署があり「火の見櫓」が建っていて、火事の無い時には梯子段に昇らせてもらった楽しい思い出が残っている。お隣の歯医者、菅沼先生が「消防団長」で、千年の木島栄次郎氏が副団長だったろうか、よく遊びに家に来られた楽しい思い出がある。
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