連載第一〇七四回「若き日々」 高津物語
「老い」を意識しない。「老い」は若さの延長だとも思っていない。七〇代後半に病気をして退院してから、見違える様に元気になっている。
理由はよく分からないが、元気そのものなのだ。
元気の源は…と思い返してみると、思い当たる事が、一つある。
七〇年も前、私は東京の私立中学に通っていた。
目黒から都バスがあったが私は歩き通し、一度も都バスを使わなかった。
当時は家にお金が無くバス代にも困ったから、徒歩通学した―そう思っていたのだが、実は健康の為、親が歩かせた事が、八〇歳の今初めて分かって心から感謝している。
先日、町歩きをして、私の足の健脚さを、自ら知る機会があり、初めて親譲りの足に、感謝したものである。
とにかく、少年時代等は、自分を卑下して、隣の畑が美しく見える年代で、五〇年・六〇年先のこと等、誰も考えもしないものだから、とにかく、蔑ろにされるものなのだ。それこそが、本当の事なのに。
こうして、少年時代の出来事を反芻、反復し自己確認できる事の幸せを昔、青年時代・学生運動をしていた生意気盛りの時代、フッと私の頭をかすめたことがあった。老爺になった自分自身をフッと一瞬振り返る―
若い時代の「安保闘争」のデモ隊の中の一瞬であったかもしれない。
とにかく、若い時代の思い出が走馬灯のように、私の空想の夢の世界を駆け巡って、一時、収拾がつかない時がある。
だが、チャペルでお説教を聞き、讃美歌を歌う時、何故か一生懸命であった事を、思い出のアルバムの一ページで思い出している。その証拠に、今の私の声は、何故か当時のままなのだ。
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