連載第一〇八一回「懐かしき学び舎」 高津物語
「七〇年も前の実体験が、現在の自分を造った原動力となっている」と聞いた人は、さぞ吃驚なさることだろう。だがしかし、貧しいが故にバス通学ではなくて毎朝徒歩で歩き通したことが、八二歳にもなって、感謝の対象になろうとは、当時は到底理解できなかった。次兄は、生温かい私学にいたたまれず、神奈川県のアチーブメント・テストを受け、進学校だった県立川崎高校へ進学してしまった。叔父も中学だけで、早稲田高等学院、早稲田大学に進学しているが、私はそのまま高校に進学してしまった。多分、御成りの堰の子が、成績不振で退校になり、その話をしている内に、付属高校に進学したのだと思う。校内には、礼拝堂に記念樹が生い茂り、図書館や院長官舎があり、後に「川崎の歴史と文化を知る会」(あつし会)会員になる故矢野翠さんと過ぎし昔を語り合った。男子校で取り立てて思い出はない。もっと勉強しておけば良かった思う後悔だけが残っていて、進路をきちんととるべきだったと思っている。しかし、京都大学に進んで京都に住み、大阪で結婚した兄を見ていると、きちんとしている分だけ人生を素早く駆け抜け、早死にしている。私の様なボンクラは、万事がスロースターターで、ゆっくり後から付いて行く役回りであると、自分で納得している。そんな訳だから早急に人生の結論を出す必要もないし、マイ・ペースで生きていけば良いのだ。こんな当然の事を今分かった私である。
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