連載第一〇八三回「慰霊碑について」 高津物語
溝口南公園に太平洋戦争で戦死された郷土の英霊を追悼する「慰霊碑」が建っている。何時も前を通る時は両手を合わせて一礼するのが常である。「郷土の平和を祈って私達の先輩は戦没した。祖国の平和を祈って犠牲者は眠っている。世界の平和を念じて私達は永遠に忘れない」。昭和二四年に建てられ川崎市長金刺不二太郎氏の謹書で、昼間政道氏が撰文し、謹書された。「高津地区戦没者慰霊碑建設促進会」が建てた。会長・鈴木巌/副会長・恒川清、田辺秀治/顧問・鈴木八郎、川辺健二、持田繁一、吉野由兵衛。以下、常任委員の名が列挙されていて、その数二十数名に上る。太平洋戦争の戦没者名簿は溝口神社と日蓮宗宗隆寺に保管されているとのこと。この碑を建てることについては各町会有志一同の参道があったとのことと聞いている。戦争は二度と起こしてもらいたくないと思う。折角立てた「慰霊碑」であるから、お座なりでなく「戦没者慰霊碑」の前で、不戦の誓いを捧げるべきだと思う。そうしなければ、戦没した郷土の英霊は、追悼されないと思われるからだ。小学校三年生の下校途中、疎開先の横浜市港北区綱島の鶴見川土堤で、私はグラマン戦闘機の機銃掃射を受けた。幸いにも銃弾は外れて当らず、私は生きていた。もしも銃弾が当たっていたらこの世に生き永らえないのは当然である。今はあの時、機銃掃射の弾が頭の先三十センチ先に落ち、私に当らなかったことを感謝するのみである。
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