郷土史には記録されない、たかつの記憶をたどる まちのこぼれ話 第4話 その1 宮田 義彰さん
◆新作生まれ、新作育ち
生まれは新作の溝口寄りのほう。父は土建工業をやっていました。また、木を伐採して材木販売もしていましたし、田と畑を持っていて農業もやっていました。豚を飼っていたこともありましたね。豚は6カ月で成長して出荷できるんです。鶏も飼っていましたね。卵は食べたけれど鶏肉を食べた覚えがないから売っていたんでしょうね。男3人、女3人の6人兄弟でした。
小学校1、2年生ぐらいまでは着物を着て、履物はゲタか自分で作った藁草履。戦後はズック靴が配給されました。走りやすくって履き心地がよかったです。洋服も配給のものやお下がりでもらったもの。新しいのを買ってもらうなんてことはないですよ。子どもの頃には、おやつなんて食べたことがなかったですね。食事はだいたい麦ごはんに野菜を煮たの。肉は正月とお盆くらいしか食べませんでしたね。
◆相撲大会で景品をいっぱいもらったなぁ
宮田の本家では庭に土俵を作っていてね、青年団の人が土俵を作っていましたけど、よくそこで相撲をとっていました。学校帰りにそっちへ行ってずっと入り浸り。夏休みなんてお盆の大会が終わるまで家でお風呂に入ったことがなかったくらい(笑)。私は腕白だったから強かったんですよ。月遅れのお盆には大きな大会があってその時には溝口の商店などからたくさん景品が出されて、いっぱいもらいましたね。
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3月29日