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高津区 コラム

公開日:2020.01.31

郷土史には記録されない、たかつの記憶をたどる
まちのこぼれ話
第8話 その3 大竹 寿一(ひさいち)さん

◆父に「体操では食えん!」と一蹴されました



 僕は幼稚園には行きませんでした。小学校は高津小学校に通い、4年生の頃から給食が始まりました。パンと脱脂粉乳のね。美味しいと評判だったのは、揚げパンとカレーですね。そのメニューの日は皆楽しみにしていて、おかわりしていました。そのまま進めば高津中学校に行くことになるわけですが、当時ずいぶん学校が荒れていてね、母が心配してね、都内の大井町にある伊藤中学に行きました。母が心配したのは、苛められるとかじゃなくて、僕がそこのガキ大将になったら困るって、そういう心配だったみたい(笑)。



 高津中学にはね、体操の指導に非常に優れた先生がいらしてね。その先生の指導が受けたくて放課後、こっそり高津中の生徒に紛れ込んで教えてもらってましたよ。高津中の生徒じゃないってバレた時には、先生、本当にビックリしておられたなあ(笑)。



 高校は武蔵小杉にある法政大学第二高等学校に行きました。僕自身は体操が好きだったし得意だったので、そちらの方面に進みたかったんですが、父に「体操では食えん!」と一蹴されまして。「大学は早稲田か慶応に行け!」と厳命されました。父親の命令は絶対でしたからね、それまであんまり勉強していなかったんですが、頑張りましたよ(笑)。そうしたら早稲田の商学部に受かりました。

 

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