高津区 コラム
公開日:2020.05.01
郷土史には記録されない、たかつの記憶をたどる
まちのこぼれ話
第11話 その2 沼田忠男さん
◆戦中戦後
戦時中は蟹ヶ谷に羽田と成田を結ぶ無線電信基地がありました。基地を狙ってB29や焼夷弾も襲ってきましたね。基地のそばに防空壕があって中に入れられたことを覚えています。父は出征して外地(フィリピン、マニラ)で戦ったそうです。昭和21年に復員してきましたが、弾が顎から歯を貫通して、左手の肘も負傷した傷痍軍人でした。右腕一本では畑仕事ができる状況ではなかったから、もっぱら母と祖母が農業をしていました。大変だったと思います。当時は近所の家もみんなそうだったし、苦労を苦労とも思わず、全部周りと同じようにして暮らしてきました。今は贅沢な時代になりました。
◆小学校時代の「日の丸弁当」
小学校は橘小学校です。昭和22年に入学して28年に卒業です。橘小学校の校舎は戦時中の爆撃にも遭わず無事でした。子どもの足で片道30〜35分かかりましたね。クラスの中で一番遠かったから、晴れた日はいいとしても雨や風の日は大変でした。いつも友達と2〜3人で歩いていきました。1学年は4クラスです。給食はなく、お弁当を持って通いました。当時は梅干し一つの「日の丸弁当」、恥ずかしくて弁当箱を包んだ新聞紙を顔の前に立てて、みんなから見えないようにして、素早く食べたりしましたね。中学校に行く頃には卵焼きや海苔も入るようになりました。
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