郷土史には記録されない、たかつの記憶をたどる まちのこぼれ話 第12話 その4 長岡 榮子さん
◆戦中、戦後の記憶
戦前はこの辺りでは桃を作っていたんですが、戦争が始まってからは穀物を作らなくちゃいけないってことで、みんな切られちゃいました。梨は復活したけれど桃は復活しなかったですね。
防空壕は最初母屋の土間のところに掘ったんですが、水が出てくるので、庭のほうに6帖ほどの広さのを掘りなおしました。北見方は正福寺のところまで全部焼けたんです。何もなくなって宮内まで眺められたそうですよ。
父は出兵しなかったですね。叔父は戦争末期のころに兵に出たそうです。でも国内にいたまま終戦になったそうです。叔母さんが一度だけ会いに行けた時に、小豆を煮てぼた餅を作って持っていったんですって。叔父さんは噛まずに飲み込む勢いで召し上がって、とっても喜んでいたそうです。家には砂糖なんてなかったのに。どうやって工面したのかしらね。
終戦は小学校5年の夏でした。そんなにショックは感じませんでした。戦争しているときから勝つなんて思えなかったですものね。ただただ早く終わってほしかったです。仲良しの友人の家が戦争で焼けちゃって、洗足学園の真向かいに仮屋で暮らしていて、その仮屋によく遊びに行きました。そのご近所に、とっても有名な彫刻家がおられました。現在区役所の正面玄関にその方が創ったブロンズ像が設置されているそうですね。
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