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公開日:2023.12.08
脚本家市名誉文化大使
山田太一氏に多くの弔意
飾らぬ人柄に親しみも
「岸辺のアルバム」や「ふぞろいの林檎たち」といった数々の名作ドラマを生み出した脚本家で、川崎市名誉文化大使の山田太一(やまだ・たいち、本名・石坂太一=いしざか・たいち)さんが11月29日、老衰のため川崎市内の施設で死去した。89歳。若い頃から高津区内に拠点を構え、多摩川などを舞台にしたヒット作も作りあげた山田さんの訃報に、地元関係者からも追悼の声が聞かれた。
中原区から高津区へ
山田さんは東京都生まれ。松竹入社後、木下惠介監督に師事し、1965年からフリーの脚本家に転身。その後、「男たちの旅路」(1976年〜)、「岸辺のアルバム」(1977年)、「ふぞろいの林檎たち」(1983年〜)など数々のヒット作を生み出したほか、小説家としても精力的に活動し、人の心を丁寧に描いた作品づくりで人々に多くの感動を与えてきた。
プライベートでは、当時大船にあった松竹の撮影所へ通う利便性などを考慮し、30歳を前に市内中原区に転居。後に高津区に自宅を構えた。
山田さんの代表作、前出の「岸辺のアルバム」は、多摩川流域、川崎対岸の東京都狛江市で1974年に起きた水害をモチーフにしたもの。さらに後年、2010年には自宅にほど近い溝口をイメージした芝居の脚本を手掛けるなど、「川崎市ゆかりのヒットメーカー」として各方面で活躍。1982年に川崎市文化賞を受賞したほか、2005年からは市の市民文化大使、その後も名誉文化大使として、地域の文化醸成の一翼を担ってきた。福田紀彦市長は、「本市の文化芸術の振興に多大に貢献をいただいた。御功績に改めて敬意を表すとともに、謹んで哀悼の意を表し、心から御冥福をお祈りいたします」とコメントを出している。
地元の「敬愛の的」
山田さんは、大御所らしからぬ気さくな人柄でも知られ、ふらりと出掛けた武蔵溝ノ口駅前のキラリデッキ近くにあるベンチに座り、道行く人に声を掛け、地域の魅力について語り合うこともあった。
また、自宅近所の小学校が周年を迎えた際には記念講演をノーギャラで引き受けたことも。当時を知る大竹寿一さん(元・津田山町内会長)は、「とても気さくに接してもらい、周年の際にはお祝いまでいただいた」と回顧。さらに、こうした講演依頼は決して断ることなく、ほぼ快諾しており、関係者は「川崎市民のために尽力してもらい本当に感謝している」と口を揃える。
2011年に高津市民館での講演を企画した高津区文化協会事務局長の田村富彦さんは、当時を懐かしみながら、「この高津から人生のドラマを全国に送り続けてきた山田太一さんは、地元の人たちにも親しまれ、敬愛の的だった」と故人を偲んだ。
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