「歩けども、歩けども」 震災当日、徒歩による帰社ルポ(その【2】)
渋谷を出たのは17時30分過ぎだった。田園都市線ほか鉄道はいつ復旧するか分からない、バスも長蛇の列。仮に乗れても246の大渋滞で「二子玉川までなら歩いたほうが早い」と言う。ならば答えは1つ。二子玉川を目指し、多摩川を渡ってから同僚に「救助」を要請しよう。
そして246。すでに両側の歩道は”同志”であふれ、車道も大渋滞。これなら徒歩が早いかもしれない。急ぎ足の会社員もいれば、缶ビール片手に歩くカップルもいた。途中の靴店でシューズを買う女性、何人かでレンタカーを借りようと話すグループあり。携帯はずっと不通で、途中、公衆電話に並ぶ列もあったが「とにかく早く二子玉川まで」という思いが足を急がせた。初めのうちは軽快だったが三軒茶屋を過ぎたあたりから次第に足が重くなる。それでも、「たかが帰る手段をなくしただけ。被災した訳じゃない」と自分を奮い立たせた。
駒沢大学を過ぎたあたりで無人の公衆電話を発見。妻は発生から4時間たって初めて夫の安否を知った。2人の子供も無事だった。しかし、ここでも会社は不通。後に聞けば支社のある馬絹周辺は地震直後から実に7時間も停電だったという。繋がるのは上司の携帯メールのみ。「もうすぐ二子玉川です。そちらの状況はどうですか?」。対する上司の返事はなし。どうやら支社では停電の影響でスタッフは早々に帰宅したらしい。それならもう最後まで歩こうじゃないか。支社のある馬絹まで。多摩川を渡り、大山街道から梶ヶ谷に抜けた。道路はずっと大混雑。停電で真っ暗闇の246の側道を降り、遂に馬絹交差点に着く。そして、支社まであと数100メートルというところで上司2人が車で待っていてくれた。
完歩ならず。それでも自然と笑顔になった。 (終り)
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