伝承の裏に麻生の教訓 「河童の詫び証文」
区内上麻生地域では、麻生川沿いを中心に、「河童の詫び証文」と呼ばれる昔話が、地域の人々の間で代々語り継がれている。
この昔話は全国各地に点在しているが、地域により少しずつ内容が異なる。
麻生に伝わる「河童の詫び証文」は、1963年に川崎新聞社から発行された「川崎風土記」(伊藤葦天著)に記されている。同書によると、「麻生川で1匹の河童が馬を川に引きずり込もうしていると、常安寺(区内上麻生)の和尚が通りかかり、河童を叱咤した。河童は深く反省し、その証にと、手形つきの詫び証文を書いた」とされている。
また、和尚が「これからは人や馬の代わりに、腹が減ったら麻の実を食べるように」と言ったとされ、当時の柿生地区には「麻生」の地名の由来になった麻が茂っていたことが伺える。
この詫び証文は、常安寺にあるとされているが、現存はしない。同寺の住職は「残念ながら現在、証文と思われる物は残っていない。河童に纏わる文献なども伝わっておらず、地域の方の口承のみで伝説が成り立っており、不思議だ」と首を傾ける。また「昔、麻生川は暴れ川として有名だったと聞いている。曲がりくねり、視界の悪い箇所も多い。むやみに近づくと危険だという教訓を伝えようと、河童に尻子玉を抜かれるから気をつけなさい、と伝えたのでは」と話している。
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