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柿生文化を読む 第138回 シリーズ「麻生の歴史を探る」豪商藤屋〜行商黒川屋・栗木屋〜後編

掲載号:2018年11月9日号

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柿生駅南口の藤屋ビル(写真手前)
柿生駅南口の藤屋ビル(写真手前)

 【前編から続く】

 江戸町民の生活文化が向上し、長屋にも畳が敷かれ火鉢が置かれると、江戸百万町民の炭の消費量は享保十一年(1726)81万5千俵だったものが、幕末の文久年間(1861〜64)には、その3倍ものおよそ283万俵と需要を増していることからも、藤屋に限らずこの頃、いかに炭の商いが盛んだったかわかります。それが藤屋のような仲買問屋を生んだ原因でありますが、この地方の村には、もう一つの背景がありました。

 江戸中期、幕府の農村対策は豪農を減らし、小農を救う中農施策にありましたが、実際にはその逆で大農家、貧農家が増え、従って多摩・相模の優良な薪炭源を持ちながら、この地方の農家は多額な費用を要する炭焼窯は資力ある者しか持てませんでした。多くの場合農民は「切子」と言って、地主の山の薪を切り炭を焼いて賃稼ぎをしたり、窯を借りたりしたもので、炭が村の大きな副収入とはなったものの、農業だけでは生活できない村の次男や三男・小農は、商品経済の中、江戸という大消費地を相手に行商となり、これを農間渡世と言いますが、この農間渡世は藤屋のような炭問屋にも及んでいました。

 しかしその一方、江戸へ出る行商の中には、炭の需要が増すにつれ、仲買問屋を通さず、直接町民に卸す者もでてきます。それは江戸に店を持ちたい、という当然の思いで、この中には黒川村の松兵衛、栗木村の弥兵衛の名がありました(広川英彦氏研究)。これを拒んだのが天保改革”人返しの令”で、これは幕府が村を捨てる農民を取り締まっての令で、都筑橘樹郡内の農間渡世人の調査をしています。しかし嘉永四年(1851)「江戸竹木木炭薪問屋」と記された名簿には「松屋町嘉右衛門借地、栗木屋弥兵衛」「松屋町茂兵衛店 黒川屋松兵衛」の名があることから、栗木黒川出身の弥兵衛と松兵衛は行商人から身を起こし松屋町で助けあって炭屋の看板を掲げていることがわかります。この名簿には松兵衛等の他に都筑屋利三郎・稲田屋弥兵衛・稲毛屋定右衛門などの名が記されており、これらはすべて芝・飯倉・滝山・木挽町などで店を借り、借地・借家料を払い、幕府に冥加金(営業代償)を納めての苦労の末の開業であったと思われます。藤屋跡は今に残りますが、高石の仲買問屋源左衛門店は長屋坂か笠原商店(かしや)だったのであろうことはおよその見当はつきますが、栗木の弥兵衛、黒川の松兵衛はどこのご先祖だったのでしょうか。

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