大人になっても夢だったサッカー選手でいるためには――。
一握りのトッププレーヤーはプロとしてJリーグで、さらに近年では欧州や南米のクラブでも活躍している。また社会人サッカーで仕事と両立しながら現役を続ける選手もいる。そんな中、決して強豪国とはいえないアジアの国で「プロサッカー選手」としての道を歩む若者がいる。
桐光学園サッカー部出身の村田勝利(しょうり)さん(25)=写真=がその一人だ。横浜市栄区出身の村田さんは桐光サッカー部で全国大会を経験。大学卒業後の2016年、ラオス1部リーグの「ラオ・トヨタFC」に加入すると、翌17年のリーグ優勝に貢献した。18年4月にはモンゴル1部リーグ「アスレチック220FC」へ移籍し、ここでもカップ戦優勝というタイトルをチームにもたらした。
輝かしくも見えるそのキャリアはしかし、挫折と軌道修正の連続だったという。
挫折の中で見つけた道
「大学を卒業する時に、一度はサッカーをやめようと思ったんです」。関東学院大学4年時にはJリーグのいくつかのチームと入団交渉もしたが、提示された契約内容はとても厳しいものだった。
周囲の友人たちが就職し焦りと挫折感を感じ始めていた矢先、知人がシンガポールでプロサッカー選手としての道を歩んでいることを知った。「考えもしなかった選択肢でしたが、すぐに面白そうだと思った」。英語が話せないことなど構わず、身ひとつでカンボジアに渡った。
現地で契約の話が出るまでは早かったが手続きが滞り、結局カンボジアからタイを経てラオスでようやく所属チームが決まった。「チームは違うポジションの選手を求めていたけれど、『できます』と売り込みました。ボランチをやってきたので、FWは小学生以来だった」と村田さんは当時の状況を振り返る。
「いけるところまで行ってみたい」
サッカーだけで生計が立てられるほど待遇は十分で物価も安く、「居心地は良いし、暮らしも気に入っている。乗り物が約束通りには来ないことを除けば」。だが「外国人選手」としてシビアに結果を求められる立場に安定はない。2年契約の途中だったある米国人選手が、2カ月分の給与とともに2時間後の飛行機のチケットを渡されたのも目の当たりにした。
「明日の居場所は自分でつかむしかない。そのひりひりした緊張感は自分の性に合ってる」。20代半ばは選手としてまだまだ可能性を秘めている。村田さんは「日本では難しいけど、こっちで上に行けば大きな国際大会の舞台にも立てる。将来のことは分からないけど、今はいけるところまでいってみたい」と前を向く。
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