――差別とは何でしょうか。
「そうですね、差別とは何かという問いをもう一歩深めて、『何が差別なのか』を考えてみませんか。自分が行っている行為、自分がかかわっている制度・政策のなかで、何が差別で何が差別ではないか分かりにくい部分もあると思います。差別とは何かと漠然と考えるのではなく、差別か差別でないかの線引きに注目するのが重要です」
――では、何が差別なのでしょうか。人それぞれで認識は変わりますか。
「私の専門分野は社会学です。社会学的に言うと、差別か差別でないかの線引きは変化してきています。同じ対象への行為でも、ある社会や時代では差別でないことが、別の社会や時代では差別になるということがあります。たとえば、人種差別や同性愛差別はある時代では差別と認識されず、対象者にひどい扱いを行っても人びとは差別と認識しなかったことがあります。その後、人権意識の発展などで同じ行為が差別と認識されるように変わってきます。差別という行為や、差別を含む制度それ自体に悪い要素が含まれているのではなく、それを社会の人がどう見なすかによって何が差別で、差別でないかが変わってくるのです。社会学ではそういう見方をします。たとえばタバコです。日本社会の中で喫煙に対する認識はとても短い期間で変わりました。仕事中や公共交通機関の中でタバコを吸う人は多くいました。ほんの数十年前のことです。今では信じられませんよね。そのころ、タバコの害について国民は知らない訳ではなかった。でも喫煙には「寛容」な社会でした。その後、様々な要因が社会の中で認識を変えていった。しかも短期間で。このようにあるものに対する社会の眼差しは変わっていきます」
――社会的背景により差別の認識が変わるのですね。差別とはどのよう行為なのですか。
「分類すると、人による差別行為には相手への攻撃や排除など意図的なものと、偏見やレッテル張りなど無自覚なものがあります。どちらも権利侵害や不利益を強いることが特徴ですが、制度そのものがマイノリティの人たちを排除する差別もあります」
――制度的な差別ですか。
「そうです。例えばある国で暮らすその国の国籍の人たちと外国籍の人たちとで制度が違えば、外国籍の人が制度を利用できないという状況は、制度を利用できる人には見えにくいですよね。”可視化”されるということはとても大切なことです。多くの人が、そこに差別があると認識できる状況と、差別があるのに認識されない状況ではまったく違ってきます。ヘイトスピーチなどは街頭やネット上で多くの人の目に留まりやすいですが、他方で制度は可視化されづらいものです。見えないからと言って、そこに差別がないと言えますか。多くの人に見えなくても、理解できなくても、被差別者に対する攻撃、抑圧、排斥などがあれば、それは差別となりえます」 (続く)
次回以降、差別のない社会、差別と区別などについてお聞きします。
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