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戦後75年特別企画 「インパール」手記、後世へ 故 山田恒雄さん 義弟が所有

社会

掲載号:2020年8月14日号

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義兄の手記を手にする田中さん
義兄の手記を手にする田中さん

 第二次世界大戦中の1944年、旧日本軍の「インパール作戦」から生還した山田恒雄さん(享年72)直筆の手記を保管していた義弟の田中正芳さん(83)=北谷町在住。終戦日を前に、田中さんは義兄の思いを本紙に語った。

 田中さんは新潟県出身。故郷の姉の夫が手記の著者・山田恒雄さんだ。山田さんは1917(大正6)年生まれ。21

歳で中国戦線に参加し、29歳で帰国するまでの8年間を外地で過ごした。27歳のときには、日本軍が決行した史上最悪の作戦と言われる「インパール作戦」に参戦。敵と相対する最前線に身を置きながら、決死の想いで生還。帰国後、農業の傍ら書き続けた手記を山田さんが他界した後、田中さんの実兄が編集し、2009年に『追憶の日々』として自費出版した。

 手記には中国大陸やビルマ(現ミャンマー)の地図が手書きで描かれ、戦死した戦友の名前が並ぶ。目を引くのは「泥土に残した靴跡 奇跡の生還 ビルマ国ヤザギョウ陣地脱出」と題した章。無謀ともいえる命令を受けて死を覚悟しながらも、必死で生き残ろうとする様子が当時の心情と共に率直に書かれている。

機転で危機脱出

 山田さんは陣地を確保するため、中尉として15人の分隊を率いて最前線へ向かった。到着後すぐに敵襲を受けた。戦闘の混乱の中、敵から身を隠すため、部下の上等兵と2人で壕に入る決断をする。その際に山田さんは、2人が壕から出ていったように見せかけるため「そのまま前向きに入ってはならぬ。後ずさりして入るんだぞ」と言いつけた。この足跡の向きが、奇跡の生還につながったのではと回想している。また、山田さんは敵陣脱出後、戦況報告のため兵団司令部へと向かったが、そこでは「故なくして陣地を過早に放棄したる廉(かど)」で重謹慎三十日の罰を受けた。山田さんは「くやしさ」と「憤怒」を覚え、この時を境に考えや行動が一変したと記している。章の結びには「これが私の経験し、或いは見聞した最前線の実態であり、永く後世に残したいと思うことでもある」と明記されている。

 田中さんは義兄の印象を「面倒見がいい立派な人。いい兄貴だった」と振り返る。新潟に帰ってきてからは、PTA会長や寺社の役員など、人のために尽くした。特に消防団長を務めていた時の号令のかけ方は、軍人を彷彿とさせたという。

 田中さんは今後、故郷に残るこの手記『追憶の日々』を取り寄せ、平和館に寄贈する予定だ。

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