麻生区 コラム
公開日:2021.09.17
柿生文化を読む
シリーズ「鶴見川流域の中世」 板碑に刻まれた「主君」は武将か僧侶か―建長七年銘板碑から地域社会を考える―【3】文:中西望介(戦国史研究会会員・都筑橘樹研究会員)
横浜市南区宝生寺に伝来する典籍巻末には「書本云/以應済御本書了 章済/賜彼御本書了 慶範/文永二年〈乙丑〉閏四月廿六日於武州矢股也」の奥書がある。文永二年(1265)に僧慶範が武蔵国矢股(寺)において典籍を書写したことがわかる。この武州矢股は都筑区の山田を指すものと考えられる。建長七年銘板碑にある寺主良範と典籍巻末にある慶範は「範」字が共通しており、年代も近いことから同じ法系の僧侶であり、同じ寺院に止宿したと考えてよいであろう。したがって「主君聖霊」は矢股に存在した寺院僧侶の主従(師弟)関係を表していると理解できる。鎌倉時代後期には山田(矢股)に典籍を書写して、盂蘭盆にあたり主君(先代の住侍あるいは師匠)の追善供養のために板碑を造立する寺院の存在を考えてよいであろう。
山田地域は鎌倉時代後期には寺院が建立され、早くから板碑を造立する文化が存在したいわば「板碑文化の先進地域」といえる。横浜市・川崎市という現代の行政区を越えて鶴見川流域を考えることの重要性を痛感する。 (つづく)
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