戻る

麻生区 コラム

公開日:2022.02.04

柿生文化を読む
シリーズ「鶴見川流域の中世」中世史料・資料の隠れた宝庫 恩田郷(その3)【2】文:中西望介(戦国史研究会会員・都筑橘樹研究会員)

  • 図版 武蔵国留守所代連署書状 早稲田大学図書館所蔵

 どうして恩田氏に宛てた書状が金沢文庫に納められていたのであろうか。この文書は一旦その役割を終えて反故になり、裏返にして「聖教釈文疏注」を記すために再利用されている。紙が貴重であった時代にはこの様に再利用して、「聖教釈文疏注」という仏教関係の書籍として金沢文庫に納められていたのである。すると、この文書は恩田氏が金沢北条家に持ち込んだ事になる。恩田氏と金沢北条氏とはどの様な関係にあったのであろうか。それを知る手掛かりは尾張徳川家の蓬左文庫に所蔵されている恩田兵衛太郎殿宛ての3点の文書である。これらの文書も金沢文庫から早い時期に流出して尾張徳川家の蓬左文庫の中に残されていた。この文書も年号が書かれていないが文永十一年(1274)頃と推定される(『神奈川県史資料編1』)。3点の文書は「白鳥一羽を差し上げたいと思います。ご覧に頂けるようにお取り計らい下さい。今日河辺より帰参いたしましたので、ご披露ください」など、手紙の差出人が恩田兵衛太郎を通じて目上の者に取次を依頼する内容である。河辺は下河辺庄と見てよいであろう。鎌倉時代後期になると下河辺庄は金沢北条氏の所領であり金沢北条氏から稱名寺へ寄進され、稱名寺を領家、金沢北条氏が地頭として支配している。したがって、恩田兵衛太郎が取り次ぐ先は金沢北条氏と考えられる。



      (つづく)

    • LINE
    • X
    • Facebook
    • youtube
    • RSS