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麻生区 コラム

公開日:2022.03.04

柿生文化を読む
シリーズ「鶴見川流域の中世」中世史料・資料の隠れた宝庫 恩田郷(その3)【4】文:中西望介(戦国史研究会会員・都筑橘樹研究会員)

  • 図版 武蔵国留守所代連署書状 早稲田大学図書館所蔵

 恩田郷に所在した万年寺の梵鐘は正中二年(1325)に鋳造されている。その銘文には「武州恩田霊鷲山松柏万年禅寺」とあり万年寺が禅宗寺院であることがわかる。禅宗を積極的に保護し寺院を開いたのは北条氏を中心とする鎌倉幕府の上層武士達であった。万年寺を開基した広鑑は梵鐘銘に「大檀那菩薩戒弟子広鑑」と刻まれている。「菩薩戒」を刻む梵鐘は万年寺の他に鎌倉市材木座の崇寿寺(現廃寺)の梵鐘(1321年鋳造)「大檀那菩薩戒弟子崇鑑(北条高時)」銘、鎌倉市山ノ内浄智寺の旧梵鐘(1332年鋳造)「本寺大檀那菩薩戒弟子慧清」「大檀那前相模守菩薩戒弟子崇鑑(北条高時)」銘、鎌倉市山ノ内東慶寺旧在の梵鐘(1332年鋳造)「大檀那菩薩戒尼円成」銘である。いずれも鎌倉市内の有力寺院であり14世紀前半に鋳造され、檀那には北条高時やその所縁の人々が「菩薩戒」を冠しているという共通点がある。万年寺の大檀那広鑑も北条氏所縁の可能性が考えられる。



(つづく)

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