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麻生区 コラム

公開日:2022.03.11

柿生文化を読む
シリーズ「鶴見川流域の中世」稲毛重成の人物像にせまる(その1)【1】文:中西望介(戦国史研究会会員・都筑橘樹研究会員)

 今回は番外編として鎌倉時代前期の武士である稲毛重成を取り上げる。稲毛重成は稲毛庄(川崎市中原区と高津区・宮前区の一部)を苗字の地とする武蔵国最大の武士団である秩父平氏の一員である。祖父は秩父太郎大夫重弘、父は小山田別当有重、母は横山新大夫孝兼の娘(『続群書類従小野氏系図』に孝兼の娘が秩父重弘妻とある)とも宇都宮宗綱の娘(『続群書類従宇都宮系図』に宗綱の娘が小山田別当有重室。重成母とある)とも言われているがくわしい事はわからない。武蔵武士の鏡として名高い畠山重忠とは従弟関係になる。稲毛重成の人物像を記した『吾妻鏡』を読むと3つの姿が浮かび上がる。



〈対照的に描かれた稲毛重成と畠山重忠〉



 【1】源頼朝に従い上洛の帰途美濃国青墓宿(岐阜県大垣市)で妻の危篤の知らせに接すると頼朝から駿馬を賜り三日間で妻のもとに馳せて帰り、その妻が亡くなると剃髪している。さらに、亡妻の菩提を弔うために相模川に橋を掛けて供養する情の篤い人物。ちなみに妻は北条時政と「牧の方」の間に生まれた女性である。【2】平弘貞の所領である吉富郷(日野市関戸・中河原)と一宮蓮光寺(多摩市小野神社と同蓮光寺、国府に隣接して鎌倉上道が貫通)を自分の所領と偽って申告し、頼朝の怒りに触れて篭居する虚偽で欲深な人物。【3】一族の嫡流である畠山重忠に対してはかりごとを巡らして鎌倉におびき出し、途中で殺害する陰謀に加担(『吾妻鏡』では首謀者)する。親族の好を利用しておびき出す陰謀家。という具合に『吾妻鏡』に描かれた重成の人物像はまことに芳しくない。     (つづく)

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