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麻生区 コラム

公開日:2022.08.26

柿生文化を読む
シリーズ「草創期の柿生中学校」開校時の生徒と先生【2】文:小林基男(柿生郷土資料館専門委員)

  • 一回生の卒業写真(1組)

 高等科2年生は3月に卒業しました。問題は1年生でした。彼ら彼女らは、高等科の2年生に進級するはずだったのに、突然学校がなくなったのです。そこで日本政府とGHQは、高等科1年生については、新制中学校の2年生として入学する事を認め、ただし中学校2年生として入学するか、高等科1年修了で中退するかは自由としたのです。



 こうして、新2年生が新制中学校の1期生となったのです。柿生中学校では、76名の2年生が、高等科からの転向組として、最上級生となりました。小学校6年の課程を終えて、高等科に進まなかった生徒も勿論おりました。しかし、東京に近い地の利を生かして、商品経済の発達していた柿生地区では、親たちの教育に対する理解は進んでおり、6年制の尋常小学校卒業生の大部分が、高等科に進学していたのです。その結果、高等科を1年で中退し、新制中学校に進まなかった生徒は、4人に1人くらいの割合だったようです。ただ、この高等科の2年次のつもりで、新制中学校の2年生になった生徒もいたようで、3年生に進級した1期生は61名と、実に15名もの生徒が3年に進まず中退と、中退率が飛びぬけて高かったことも事実です。さらに3年次の途中で、3名が退学。第1回の卒業生は58名に留まったのです。



 (つづく)

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