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麻生区 コラム

公開日:2022.10.21

柿生文化を読む
シリーズ「草創期の柿生中学校」教科書はあったのか?【4】文:小林基男(柿生郷土資料館専門委員)

 GHQの占領下ですから、新聞、雑誌は勿論、個人の親書などもGHQの検閲を受けた時代です。教科書もまたGHQの検閲を受け、許可が出なければ出版できない時代でした。奥付けにある英文Approved by Ministry of Educationは、GHQの検閲済を示します。日本側の執筆編成作業が遅れた上に、GHQの検閲も遅れたがゆえに、見切り発車でスタートした新制中学校の初年度は、教科書も満足にない状態でスタートせざるをえなかったのです。その間は、先生方が手探りで作られたプリントが唯一の教材だったのでしょうが、紙不測の時代です。プリント配布も時々しか配れなかったのです。一期生として2年生の級長を務めた高瀬武治さんが、「グランドの草取りはよくやったけれど、勉強した記憶はあまりないよ」と語られるのも納得できます。学習については、のんびりした牧歌的な時代だったのですね。   (つづく)

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