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麻生区 コラム

公開日:2022.11.18

柿生文化を読む
シリーズ「草創期の柿生中学校」校舎の建設【3】文:小林基男(柿生郷土資料館専門委員)

  • (上)建設中の第1期校舎 地元の方の人海戦術(下)完成した第1期校舎 木造平屋建

 1期生の高瀬武治さんは、「私たちは、毎日のように、男も女も村の人たちや先生方と一緒になって、リヤカーを引き、モッコを担ぎ、鍬を持って整地作業に汗を流し、手に肉刺を作りながら手伝いました。」と、当時の思い出を『柿生中学校創立30周年記念誌』に寄稿しています。当時の教員として、職業科と体育科を担当した小清水貞明先生は、毎朝ゲートルに地下足袋姿で出勤し、早朝から村の人たちと共に働いていたそうです。ご本人も、「担当教科の関係もあって、仕事の大半が工事の手伝いで、毎日泥まみれで、生徒の授業はあまりできず、申し訳なかったと思っています。」と、『30周年記念誌』に記されています。若い青年団の皆さんも積極的に工事に加わっており、その頑張りは半端ではありませんでした。女性の先生や女子青年団の皆様は、きつい労働でお腹を空かす人たちにと、毎日オヤツにサツマイモを大量に蒸かしたりと、こちらも一生懸命でした。

 現在のように便利な機械が使えるわけではなく、固い地盤に道具が壊れてしまうことも多く、代わりの道具の調達も大仕事だったりしたようです。それでも人海戦術の効果は大きく、48(昭和23)年に始まった整地作業は、49(昭和24)年春には一応完了し、4月30日には校舎建設の起工式を行うことが出来たのです。ここから本職の大工さんの指導で校舎の建設です。資材の調達や管理も大変な仕事でしたが、整地作業と違って、こちらは柱が立ち、屋根を葺きと、労働の成果が目に見えるため、自然と気合が入ります。こうして同年9月5日に、初めての自前の校舎の落成式を行うことが出来たのです。

      (つづく)

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