麻生区 コラム
公開日:2022.11.25
柿生文化を読む
シリーズ「草創期の柿生中学校」卒業生の進路〜就職難と金の卵〜【1】文:小林基男(柿生郷土資料館専門委員)
昭和22年の開校時に、2年生として入学した一期生は、24年3月に卒業式を迎えました。翌25年3月には、開校時に1年生だった二期生が卒業しました。以後三期生、四期生と3月には毎年卒業生が巣立って行きました。その卒業生たちの卒業後の進路はどうなっていたのでしょう。
年配の皆さんには、説明不要なのですが、しばしお時間をください。下表に昭和23年度(24年3月)卒業の一期生から、東京オリンピックという輝かしいイベントのあった昭和39年度(40年3月)卒業の十七期生までの卒業後の進路をまとめてみました。卒業後に後期中等教育を担う高等学校への進学者が5割に満たない時期がいかに長かったかご理解いただけると思います。首都近郊の純農村地帯だった柿生地域は、禅寺丸柿という独特の商品作物を持っていた恩恵から、尋常小学校の6年間を終えると、大半が子女を2年間の高等小学校に通わせましたが、高等小学校を終えると、家業の手伝いをさせるか、奉公に出すかしていたのです。
戦後の学制改革で、義務教育が六・三制となり、中学校の三年間を終えるまでは、学校に通わせざるをえなくなったのです。そんなわけですから、中学を卒業すると、家業を継ぐために自宅で仕事の見習いとして働くか、ツテを頼って就職する生徒が多かったのです。表の数字で、アレッと首を捻らざるを得ないのは、23年度卒業の一期生です。この年だけ、進学した21名を除く、37名全員が就職したことになっています。おそらく、実際の就職者と自宅で家業の見習いをすることになった卒業生の区別がつかず、とりあえず、進学した卒業生以外を就職者に一括したのでしょう。 (つづく)
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