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麻生区 コラム

公開日:2022.12.23

柿生文化を読む
シリーズ「草創期の柿生中学校」『うれ柿』と学校生活の思い出…その1【1】文:小林基男(柿生郷土史料館専門委員)

  • 学校文集「うれ柿」第2号の表紙

昭和25(1950)年2月13日

 私の手元に、柿生中学校の学校文集『うれ柿』の1号と2号があります。1号は、一期生の卒業する昭和24年の3月に発行されていますから、今日も発行され続けている『うれ柿』は、平成最後の卒業式となった平成30年度の発行号で、71号になりました。この『うれ柿』第1号は、敗戦後で物資も乏しく、独自の校舎すら持てず、柿生小学校に間借りしたまま卒業の日を迎えた一期生たちが、学校に何か残したいと知恵を絞り、手造りの学校文集を考えたのでしょう。先生方や後輩の応援も得て、必死になって鉄筆でガリ版に向かって字を書き続け、それを謄写版で手刷りして綴じこんだ、まさに手造り感満載の冊子でした。1年後、25年3月刊の第2号は、同じ謄写印刷でも、印刷業者に発注し、筆耕と印刷、製本をお願いした(それだけ費用をかけることが出来た)ことが良くわかる造りになり、表紙はカラー印刷という、当時としてはとてもお洒落な製本になっています。

 さて、手元にある『うれ柿』創刊号は、日当たりの良い部屋で保存されていたせいでしょうか、日焼けして印刷が不鮮明な部分もあるのですが、当時の先生方が、授業や校舎建設予定地の整地作業に追われながら、疲れた体にムチ打って、コツコツと調べを進めたご自分の教育研究の成果を、精魂込めて書き綴った文章が並んでいて、読む者の胸を打ちます。それはおそらく、校舎の整地作業などにかまけ、満足に授業もしてやれなかった卒業生に対する、償いの意味を込めていたのでしょう。「教室では話してやれなかったが、せめてこれを読んでくれ。困ったときに思い出して、紐解いてくれれば、役に立つときもあるよ!」と、言いたかったのでしょう。そんな熱い思いが伝わってきます。『うれ柿』は在校生にも配られたのでしょうが、下級生には難しすぎる内容だったように思えます。

      (つづく)

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