麻生区 コラム
公開日:2023.01.06
柿生文化を読む
シリーズ「草創期の柿生中学校」『うれ柿』と学校生活の思い出…その1【2】文:小林基男(柿生郷土史料館専門委員)
さて、『うれ柿』第2号には、創立3年目、昭和24年度の学事日程が掲載されています。この年4月には、新校舎の起工式が行われ、夏休み中の8月下旬に完成、全校総出の引っ越し大作戦を経て、9月5日に落成記念式が行われました。なお全校生徒は収容しきれなかったのですが、ようやく自前の校舎が手にはいったのです。そんな明るい24年度だったのですが、年が明けて3年生の卒業や高等学校進学予定者の入学試験が近づいてきた2月13日月曜日の早朝、とんでもない事件が起きたのです。3年生の担任のお1人(在籍者91人でしたから、45名と46名の2クラスでした)中山正次先生が心臓麻痺で急逝されたのです。当時柿中では、1組、2組という呼び方ではなく、担任の名をとって、中山ホームとか森ホーム、中嶋ホームといった呼称が使われていましたから、中山ホームの生徒たちに限らず、3年生全体、さらに、全校の図画と工作の授業を受け持たれていたので、全校生徒もまた、あの丈夫そうで頑健な体格の先生がと、大きなショックを受けたのでした。2号の巻末に急遽10頁の中山先生追悼集が手刷りで追加されたのです。
当時、土曜日は午前中のみの4時間授業でしたから、生徒たちも先生方も、11日の土曜日には、元気だった中山先生に会っていたのです(2月11日が建国記念の日という祝日に指定されたのは1966年秋のことで、当時は平日でした。)から、誰もが信じられなかったのです。教頭の丸山先生がすぐにご自宅に弔問に伺い、ご両親にお会いして、先生が心臓に持病を持ちながら、生徒や学校のために、頑張っていらしたこと。生徒たちのことを気に掛けながら、帰らぬ人となったことをお聞きして学校に戻られ、その報告をうかがって、誰もが現実を受け入れざるをえなくなったことが、記されています。 (つづく)
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