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麻生区 コラム

公開日:2023.01.20

柿生文化を読む
シリーズ「草創期の柿生中学校」『うれ柿』と学校生活の思い出…その1【3】文:小林基男(柿生郷土史料館専門委員)

  • 学校文集「うれ柿」第2号の表紙

 中山ホームの熊沢テル子さんは、「学校に着いて、中山先生が亡くなられたと聞いた。私は信じきれなかった。でも本当だと分かった。(教頭の)丸山先生が、『クラスのことをとても心配していらしたそうだ』と話してくださった。私たちは、先生にどれだけ心配をかけたかわからない。みんなで先生のご冥福を祈って、一生懸命勉強しましょう。」と書き、同じく高瀬留子さんは、「一年生として柿中に入学した時から、三年生の現在まで、ずっと一緒だった先生との楽しかったことや叱られて泣いた時のことが思い浮かびます。先生のお気に障ることを言った時もあったと思います。今私は後悔でいっぱいです。」と記し、富沢京子さんは、「私たちは、ただ茫然として、生前の先生のお姿を、目の前に描き続けるばかりでした」と書き、11日に駅伝大会に出場し、好成績を収めた杉本武雄さんは、「土曜日の大会の帰りに学校に寄ると、先生は1人で仕事をしておられました。マラソン(駅伝のこと)で勝ったと伝えると、先生は大変喜んで、『それは良かった』とニコニコしながら、褒めてくれました。そんなこともあって、驚きが消えません。」と書いています。それぞれの混乱した気持ちが、とても正直に記されています。筆者の知る限りの皆様に限りますが、84歳(令和元年当時)を迎えて、なおお元気な三期生の皆様は、どなたも当時のショックを鮮明に覚えていらっしゃいました。

(つづく)

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