麻生区 コラム
公開日:2023.04.14
柿生文化を読む
シリーズ「草創期の柿生中学校」下駄切坂と柿生隧道の建設【2】文:小林基男(柿生郷土史料館専門委員)
中学生たちは、もう少し大人ですし、家の手伝いをしなければならないことも理解していましたから、ずる休みはしなかったようですが、下駄切坂を越えての通学が大変なことに変わりはありません。生徒たちばかりでなく、仕事で柿生駅に或いは上麻生や片平方向に出なければならない大人たちも、買い物に出る婦人たちも、歩きやすく広い道路の建設を願う気持ちは一緒でした。とりわけ、自分たちの集落を「まるで袋小路だ」などと称していた真福寺の人たちの願いは切実でした。
実は、下駄切坂をトンネルで抜ける道路を建設し、柿生市街地から陸の孤島となっている真福寺、王禅寺、早野との行き来を楽にするプランは、戦中から存在していました。現実に真福寺の信号から、しばらく先まで道路が整備され、1944(昭和19)年には、軍部の了解の下、上麻生側に向けトンネル掘削工事が始められたのです。戦時中で若者はほとんど従軍していましたから、真福寺、王禅寺、早野、下麻生の4集落の大人たちが、日替わりで労力を提供し、つるはしにモッコを担いで、まさに手掘りに近い形で掘り進めたのです。しかし残念ながらこの時の工事は完成に至らず、戦局が一段と悪化したために、中断のやむなきに至りました。
(つづく)
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