幸区南加瀬の大相撲・旧中川部屋に所属した地元出身の元幕下力士「旭勇幸(きょくゆうこう)」の濱上京介(はまがみきょうすけ)さん(26)が今月引退した。同部屋を巡っては、親方の不適切な指導があったとされ、部屋が閉鎖されたことが報じられた。濱上さんは複雑な胸中を明かしつつ、部屋で学んだことを母校・向の岡工業高校相撲部の後輩たちに伝えたいと語る。
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断髪式は7月12日に同部屋(当時)で行われ、15人超の関係者がまげに、はさみを入れた。「もう力士をやめるんだ」。はさみが入るたびにそんな実感がわいたという濱上さん。次第に涙が止まらなくらなくなった。最後となる止めばさみは、中川親方が行った。「よく頑張った」。師匠にかけられたこの言葉で「全てが報われた」と実感した。
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旭勇幸のしこ名で土俵に上がっていた濱上さんは、今年3月の春場所の取組で左腕を肉離れした。バリバリと裂ける音が聞こえたという。肩をあげることができず、自身の生命線である左まわしを取る相撲がとれなくなってしまった。その後、腫れはひいたが、申し合い稽古で再び負傷。さらに路上でつまずき、受け身をとった際に負傷し、感覚がなくなった。5月下旬、引退を決意し師匠に伝えると、親方は数秒間の沈黙の後「そうか。ケガも多かったからな。お前が決めたことだ。俺は止められない」と語った。おかみさんは涙したという。
今年初場所には序二段で7戦全勝を果たした。優勝決定戦では元幕内・宇良と対戦、敗れはしたものの、次の場所につながる手ごたえを感じていた矢先のケガだった。後援会長を務める佐々木恵太さんは「まだまだやれたという思いは残るがしかたがない」と肩を落とす。
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幸区南加瀬出身。実家は部屋から歩いて約5分の場所にある。市立夢見ヶ崎小学校、市立南加瀬中学校を卒業。県立向の岡工業高校を経て角界に入った。川崎区にあった春日山部屋に入門したが、その後、部屋の騒動で追手風部屋に移籍。当時から指導に当たっていた中川親方が春日山部屋を継承し、中川部屋へ移った。「残ってくれてありがとうな」。師匠からそう声をかけられた。「中川親方を最後の師匠と決めた」という。
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稽古では「自分の型をもちなさい」「しっかり汗をかくように」と言われ続けた。通算戦績は147勝128敗27休。幕下昇進を決めた昨年3月場所の一番は最も印象に残るの思い出の取組だ。私生活では「目配り、気配りの利く人間になれ。一日一日を大切に」と親方に説かれた。「部屋に入ったおかげで人間的にも成長した」と濱上さんは語る。
時に厳しい指導があったが、部屋は家族のような温かい雰囲気だと思っていた。だが、親方の行き過ぎた指導が報じられると「親方への受け止め方について、(先輩力士も後輩力士も)いろんな考え方を持っていた」ことに初めて気づいた。「親方とも、力士同士とも、もっとコミュニケーションをとることができれば」。言葉を選びつつも悔やむ。騒動を機に、部屋の力士たちは複数の部屋へ移籍したが「早く新しい部屋に慣れてほしい」と気遣う。
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第2の人生は、建設会社で働く。まずは体を治し、現役時代135kgあった体重を100kgへ落とすことを目標にする。断髪式では、向の丘工業高校の清田英彦監督から「指導者として今後うち(向工)でやってほしい」とも伝えられた。清田監督は「人間としても裏表がなく、後輩に優しい。力士時代から(向工で)全力で指導してくれていた」と濱上さんの人間性を評価。「教員(の指導者)にはない視点を持っているので、(後輩に対しては)生徒が悩んだときに寄り添える貴重な存在だと思っている。いろんな角度から声をかけてほしい。将来的には専属コーチになってほしい」と期待を寄せる。今は母校に出向いて後輩たちに胸を貸す日々を送る。濱上さんは「食事の大切さ、下半身の鍛錬の重要さを伝えています。引退後も、相撲界に関われることに喜びを感じています」と語る。
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