大船渡市末崎町出身で、大船渡・陸前高田の漁師から直送される魚介を提供する海鮮居酒屋「がんばっぺし」を淵野辺のほか、3店舗で展開する。現在は居酒屋のプロデューサーだが、この立場に行きついたきっかけは、あの震災だった。
3月11日、出張先の上海から成田空港に降り立ったとき、大地震が襲う。パニックの構内。ホテルに避難しテレビをつけると、惨状にあえぐ故郷の姿があった。被災地では一部の家族と連絡が取れず、案ずるよりほかになかった。
居ても立ってもいられず、当時経営していた会社の従業員と横浜駅で募金活動を実施。それでも堪らず、3月16日、トラックに水と灯油を積んで現地へ向かう。アスファルトが波打つ高速道路、運転するだけでも緊張が続く。街灯も無い中、夜中に宮城・気仙沼を迎えると、海から遠く離れた地にまであり得ないほどのがれきが積み上がっていた。恐怖感にさいなまれながら前へ進むと、今度は町一帯が消失した陸前高田に唖然とした。地元末崎町では小・中学学校のほか、地域の公民館1軒1軒に配り、温かい言葉をかけられては泣きながら回った。家族の無事も確認したが、今後も被災地のために何ができるか、それだけは脳裏から離れなかった。
そこで知人らと相談して考えついたのが、大船渡、陸前高田の豊富で美味しい食材を使った料理のもと、被災地の人たちを呼び寄せ、スタッフとして働いてもらう居酒屋づくり。被災地の人たちを起用したのは、物資を配りながら様々に言葉を交わす中、心を傷めながらも前に進みたいと熱意をぶつけてくる声が多く聞かれたからだった。そして様々な協力のもと、海鮮居酒屋を横浜駅前にオープンさせる。名前は地元の人たちが励まし合うために言っていた言葉から「がんばっぺし」。新鮮な魚介と温かいスタッフが話題となり、11年6月から半年間、多いときで月に1500人が来店しにぎわいを見せた。地元の人たちの思いと同様、「皆で前に進めるモデルをつくりたかった」と振り返る。
震災から1年後には当時まだ自粛ムードが漂っていた地元を活気づけようと、ビニールハウスで仕立てた海鮮居酒屋を出店。そこで志のある若者を積極雇用しノウハウを伝えながら店舗展開させていったほか、顧客からの要望が多かった友好都市・相模原への出店の約束を果たすべく昨年11月、淵野辺駅前店のオープンにもこぎつけた。
「本当の復興」のために
夢はまだまだ尽きない。今後はフランチャイズ展開のほか、三陸ワカメなどの食材の通販、海外の若者を雇用し、Uターンして三陸の食材の良さを伝えてもらうような仕組みを通じて、大船渡、陸前高田を発信する計画を検討中だ。地元の食材で消費が増えれば収入が安定し雇用が生まれる、後継ぎがいなければ委託して生産するための運営を手助けする、「それができて、やっと本当の復興。今はまだ復旧。発信し続けていかないと、元気なまちを取り戻すところまでたどりつかない」と強く思う。そうすることが同業者の刺激になり、互いに切磋琢磨できる関係が構築され、高め合うことにつながっていくものと信じる。その積み重ねにより、「三陸・岩手のブランディングを確立していきたい。まだ志半ばですが」。
元の町ではなく、さらに元気な大船渡にするために。地元の人々の思いを胸に、三陸の海の幸を全力で発信し続ける。
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